Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書51章12~23節

聖書研究 イザヤ書51章12~23節(新共同訳 旧約pp.1147-1148)

(1) 何故、あなたは恐れるのか(12~16節)

 イスラエルはバビロンが自分達を滅ぼすだろうと考えていた。そのため彼らは恐れに絶えず囚われていた。
 それに対し、主なる神は、イスラエルの恐れが不信仰によるもので、根拠のない過剰反応であると見なされた。そして、「わたし、わたしこそ神、あなたたちを慰めるもの」(12節)、「わたしは主、あなたの神」(15節)と繰り返し宣言された。
 イスラエルはバビロンが「死ぬべき人、草にも等しい人の子」(12節)に過ぎないことを忘れていた。また、彼らは「自分の造り主を忘れ/天を広げ、地の基を据えられた主を忘れ」(13節)てしまった。そのため、イスラエルは恐れに囚われ、目に見えるバビロンだけを意識するようになってしまった。
 主なる神の言葉と保護を受けている契約の民は(16節)、非現実的で病的な恐れに縛られてならない。

(2) 主なる神の憤りの杯を飲んだエルサレム(17~23節)

 イスラエルを象徴するエルサレムは「主の憤り」(20節)によって絶望的な状態に陥った。それは、酒を飲み過ぎて、自分で体を支えることが出来ず(17節)、また「導き手とな」り、「手を取って支え」てくれる子供もいない母親のようであった(18節)。彼女の子供達は、「網にかかったかもしかのように」略奪者の手にかかり、「街角」で「力尽きて伏している」からである(20節)。
 かつて神の都と呼ばれ、名誉を得ていたエルサレムは、今は征服者による「破壊と破滅、飢饉と剣」でズタズタになり、屈辱を受けた。そして、彼らのために「嘆く」者も「慰める」者もなかった(19節)。
 しかし、主なる神はそのようなイスラエルに希望の言葉をお与えになった。それは、主なる神がイスラエルに対する懲らしめを止め(22節)、彼らに代わって今度はバビロンを懲らしめるという内容であった(23節)。主なる神はご自分の民を暫くの間懲らしめられる。しかし、その民を苦しめる敵の側には決して立たれない。