Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書53章7~12節

聖書研究 イザヤ書53章7~12節(新共同訳 旧約p.1150)

(1) 屠り場に引かれる小羊のように(7~9節)

 主の僕に対する「苦役」(7節)、捕縛、「裁き」、処刑(8節)、葬りの過程(9節)、人々の反応は(8節)、イエス・キリストが遭われた受難と完全に一致している。イエス・キリストは、罪のない御方であったにもかかわらず、重罪を犯した人間のように尋問され、処刑された。それは「屠り場に引かれる小羊のよう」(7節)であった。
 バプテスマのヨハネイエス・キリストについて「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネによる福音書1章29節)と表現した。フィリポはイザヤのこの預言を読んでいたエチオピヤの高官のところに行き、この主の僕がイエス・キリストのことであると教えた(使徒言行録8章32~35節)。
 イエス・キリストはご自分の死の意味と目的をよくご存知であった。それ故、黙々と、最後まで全ての苦しみを受けられた。その恵みによって私達は生かされている。

(2) 主なる神が望まれることを成し遂げた僕(10~12節)

 イエス・キリストは、「多くの人が正しい者とされるために」、人間の「罪を自ら負った」(11節)。人間を罪から救うために「多くの人の過ちを担い/背いた者のために執り成しをした」(12節、ルカによる福音書22章34節)。
 そして、イエス・キリストがご自分の命を「償いの献げ物」として差し出されたのは、「主の望まれること」であった(10節)。それ故、この方を自分の救い主として受け入れる時、私達は義と見なされ、主なる神の刑罰を免れることが出来る。
 イエス・キリストは「自らの苦しみの実りを見/それを知って満足」(11節)される。主なる神もイエス・キリストによって大いに喜ばれる。「彼は子孫が末永く続くのを見る」(10節)や「彼は戦利品としておびただしい人を受ける」(12節)といった表現は、主なる神がイエス・キリストに与えられる祝福を表している。
「十字架の死に至るまで従順」であったが故に、主なる神は「キリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えに」なった。イエス・キリストは、「天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて」、その「御名にひざまずき」、王の王、主の主として崇めるべき方である(フィリピの信徒への手紙2章8~11節)。