Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書54章1~6節

聖書研究 イザヤ書54章1~6節(新共同訳 旧約pp.1150-1151)

【概要】
 主は、夫に捨てられた女のようなイスラエルに向かって、彼らの子孫が諸国の民の土地を継ぎ、荒れ果てた町々を再び人の住む所にすると仰せられた。主は激しく怒って彼らを僅かの間捨てたが、とこしえの慈しみで彼らを憐れまれる。それはノアに誓われたことと同じである。主の平和の契約は揺らぐことがない。

【歴史的背景】

【釈義】
1節 子を産まなかった不妊の女よ

 主の僕が贖いの死によって受ける栄光についての預言に続き(52章13節~53章12節)、本段落では女に擬人化したイスラエルに主の約束が与えられる。イスラエルは子を産まない「不妊の」(עֲקָרָ֖ה [‘ă-qā-rāh] (干乾びた))女と呼ばれる。本書でイスラエルは子供を失った母親として描かれてきたので(51章18~20節)、これは矛盾のように思える。しかし、それは子供を全部失ってしまったイスラエルの惨めな様子を描くためであり、それに対する主の直接的な介入を描いてその回復の大きさを表しているのである。イスラエルの回復は「喜び歌え」「歓声の声をあげ、喜び歌え」という逆説的な命令で暗示される。
 続いて、この命令の根拠を、「何故なら」を表す接続詞כִּי [ki]によって示し、「夫に捨てられた女の子供らは/夫ある女の子供らよりも数多くなる」と語る。「主は言われる」はこの約束の確かさを裏付けている。

【黙想】
 主なる神は、悲惨な状況に置かれている聖徒に、逆転の恵みを与えて下さる。古代イスラエルでは、子を産めないことは大変な恥だと考えられていた。イスラエルは、「不妊の女」、「夫に捨てられた女」のように侘しい身の上に転落し、望みもなかった。そのような彼らに、主なる神は「喜び歌え」と言われる。主なる神が彼らの恥をないものにして下さるからである。偶像礼拝の罪のために敵に踏み躙られていたイスラエルに、夫である主なる神の赦しと救いが臨むというのである。主なる神による回復の恵みによって、イスラエルは天幕の場所を広げなければならないほど繁栄する。これは全世界の異邦人まで救いを受け、神の民の数が増えることを示している。主なる神との関係が回復すれば、喜びが回復し、信仰によって霊的な子孫を生み、霊的な地境が広がる。

【適用】
 主なる神は約束を与えるだけでなく、傷ついたイスラエルを慰められた。主なる神の約束を聞きながらも現実に押し潰されて恐れ、過去の失敗によって意気消沈してしまうことがある。主なる神はそのような私達に、二度とそのような恥や辱めを受けることはないと約束して下さった。
 主なる神の約束を信じて主なる神に従うためには、ヨシュアのように信仰の確信から生じる勇気が必要である。大胆に立ち上がり、主なる神の贈り物を受け取らなければならない。主なる神は恥をも取り去って下さったからである。
 私達を造られた方は、私達の夫であり、万軍の主であり、贖い主であられる(5節)。「全地の神」は唯一にして真の神を指す呼称である。頼れる夫を持つ女は何も恐れる必要がない。主なる神が守り、支え、実現される、憐れみ深い主なる神は捨てられた妻を再び呼び、決して見捨てることはない。

祈り
 主よ、罪に染まって生きてきた私をきよめ、あなたの花嫁として下さり、心から感謝致します。あなたはとこしえの慈しみをもって私の恥を覆って下さいます。私の人生に注がれたあなたの憐れみと恵みをほめたたえ、あなたの御言葉によって霊的な子孫を生み続ける人生になりますように。