Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書54章1~8節

聖書研究 イザヤ書54章1~8節(新共同訳 旧約pp.1150-1151)

(1) 歓声をあげ、喜び歌え(1~3節)

 神の民であるイスラエルエルサレムに象徴されている。バビロンによって破壊され、荒廃したエルサレムは、「不妊の女」「夫に捨てられた女」に喩えられている(1節)。古代社会において女に夫がいないことは、自分を守ってくれる人のいない貧しい状態を意味した。また、子供がいないことは何の希望もないことを意味した。
 そのような女が「歓声をあげ、喜び歌え」(1節)と命じられている。彼女は、「夫ある女」よりも多くの子供を持つ母となり(1節)、広く大きな天幕を立て(2節)、その「子孫は諸国の民の土地を継」(3節)ぐことになるからである(2節)。また、「荒れ果てた町々」は回復し、再び「人が住む」ようになる(3節)。主なる神の救いは不可能な条件から驚くべき結果を生み出す。

(2) 恐れるな、最早恥を受けることはない(4~8節)

 主なる神は、イスラエルの「造り主」「聖なる神」であり、また「万軍の主」「全地の神」と呼ばれる全能の主である(5節)。この方が、イスラエルの「夫となられ」、彼らを「贖う」ことを自ら宣言された(5節)。だから、イスラエルの民は主なる神の救いを確信することが出来た。
 イスラエルが罪を犯したため、主なる神は「激しく怒って」、「わずかの間」彼らを「捨て」、その御顔を彼らから隠された。しかし、「捨てられて、苦悩する妻を呼ぶように」、主なる神は「深い憐れみをもって」再びイスラエルを「引き寄せ」られる(7~8節)。主なる神はご自分の民を「とこしえの慈しみをもって」(8節)憐れまれる方である。
 主なる神が深い愛をもってイスラエルを救われる。だから、彼らはもう「恥を受けること」も「辱められる」こともなく、「恐れる」必要も「うろたえる」必要もない(4節)。