Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書56章1~12節

聖書研究 イザヤ書56章1~12節(新共同訳 旧約pp.1153-1154)

(1) 異邦人の救い(1~8節)

 イスラエルの民がバビロンからエルサレムに帰還した後、主なる神の救いの計画は新しい局面を迎える。主なる神は「安息日を守り、それを汚すことのない人/悪事に手をつけないように自戒する人」(2節)に祝福を宣言される。
 また、それまで「異邦人」や「宦官」は(3節)、イスラエルと区別され、神殿での礼拝に参加することが出来なかった。しかし、主なる神は、イスラエルの民と一緒にエルサレムに来て、神殿と都を再建する仕事に参加した異邦人、またバビロンとペルシアで宦官となったユダヤ人に対し、「主に仕え、主の名を愛し、その僕となり」(6節)、「安息日を常に守り」、主なる神が「望むことを選び」(4節)、主なる神の「契約を固く守るなら」(4節、6節)、彼らは神の民に含まれ、主なる神に直接礼拝を献げることが出来るようになると告げられた(7節)。
 それ故、主なる神は神殿を「すべての民の祈りの家」(7節)と呼ばれる。主なる神は、ご自分を愛し、ご自分の契約を守る全ての人に約束を果たされる。

(2) 主なる神を畏れぬ指導者(9~12節)

 イスラエルの指導者に対する主なる神の失望が表されている。
 イスラエルの指導者は、自分達が置かれている状況をよく観察し、危機が迫っている時には民にそれを知らせる「見張り」(10節)であり、「羊飼い」(11節)である。だから、彼らはいかなる時も気を緩めてはならない。指導者が自分の役割を忠実に果たす時、共同体は安全で平安である。
 しかし、イスラエルの指導者は「それぞれ自分の好む道に向かい/自分の利益を追い求め」(11節)、見張り、羊飼いとしての務めを等閑にした。彼らには自分の務めに対する専門的な識見がなく、その重要性についての理解もなく、何よりも熱意や責任感が欠如していた(10節)。
 結局、指導者の無責任と怠惰の故にイスラエルは敵に略奪されてしまった。指導者が目覚めていなければ、その共同体は倒れてしまう。