Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書57章1~10節

聖書研究 イザヤ書57章1~10節(新共同訳 旧約pp.1154-1155)

(1) 主なる神に従う人がいなくなる社会(1~2節)

 主なる神に背く社会では、「神に従」う人々、「神の慈しみに生きる人々」が虐待と苦難に遭う(1節)。本文はユダの王マナセが主なる神に従う人を迫害したことを念頭に置いている(列王記下21章16節)。
 主に従った人の無念の死について「だれひとり心にかけなかった」。主に従う人がいなくなってしまうことが何を意味するかに「気づく者」もいなかった(1節)。共同体全体が主なる神に背く中で、主なる神は苦しみに遭っている自分に従う者を速やかに取り去られる。
 主なる神に従う者がこの世を早く去るのは惜しむべきことである。しかし、それはずっと「さいなまれて」(1節)きた彼らに永遠の安息を与える主なる神のご配慮である。「真実に歩む人」に死後「平和が訪れる」ことは(2節)、新約聖書でも「今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである。……彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである」(ヨハネの黙示録14章13節)という言葉に表されている。

(2) イスラエルの霊的姦淫(3~10節)

 主なる神に背く社会では偽の宗教が栄えている。イスラエルの民は真の神を捨ててしまったが、偽りの偶像に対してはとても好意的であった。彼らは多産を願って姦淫を犯したり(3節)、願いを叶えるために自分の子供を犠牲として捧げたりした(5節)。主なる神に対する愛は冷めてしまったのに、偶像に対する愛と情熱は尽きることを知らなかった(6節、9節)。
 偽りの宗教は真の宗教を批判する中で発生するものであるが、それ自体は欺瞞と不道徳である場合が多い。主なる神はイスラエルの民との関係を結婚関係に喩え、彼らの偶像礼拝を霊的姦淫と見なされた(8節)。イスラエルは霊的姦淫によって主なる神を裏切ったのである。