Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書58章1~12節

聖書研究 イザヤ書58章1~12節(新共同訳 旧約pp.1156-1157)

(1) 偽善的な敬虔(1~5節)

 イスラエルの民は、断食などの苦行をしているのに、何故主なる神は自分達を顧みて下さらないのかと不平を言った(3節)。
 それに対し、主なる神はイスラエルの民の問題をはっきりと指摘された。主なる神が彼らの断食を無視されたのは、彼らが宗教行為を行っていても、内面は徹底して自己中心的だったからである。彼らは「断食の日」に自分の「したい事をし」、自分の「ために労する人々を追い使」(3節)った。また、「断食しながら争いといさかいを起こし」(4節)た。彼らの断食は、自分を引き上げ、自分の欲求を満たすためだけの行為であった。
 自分を低くし、自分を否定することのない宗教生活は、偽善であり、「神に逆らって、こぶしを振るう」(4節)行為である。

(2) 隣人を顧みる敬虔(6~12節)

 主なる神が望まれる敬虔には、困難に直面している隣人に対する愛の実践が含まれている。具体的には、「虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること」(6節)、「飢えた人」に自分の「パンを裂き与え/さまよう貧しい人を家に招き入れ/裸の人に会えば衣を着せかけ/同胞に助けを惜しまないこと」(7節)である。
 主なる神は「飢えている人に心を配り/苦しめられている人の願いを満たす」(10節)ことこそ「わたしの選ぶ断食」(6節)であると言われた。そして、そのように隣人を顧みる人を「いやされ」、導かれ、守られる(9節)。また、その人の叫びに「わたしはここにいる」と応答される(9節)。更にその人に「力を与え」(11節)る。その人は「潤された園、水の涸れない泉」(11節)のように豊かにされ、共同体を再建する者として用いられる(12節)。
 真の敬虔は主なる神が期待されることを実践することである。