Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書62章10節~63章6節

聖書研究 イザヤ書62章10節~63章6節(新共同訳 旧約p.1164)

(1) 主が告げ知らされる救い(62章10~12節)

 預言者は、まるで今エルサレムの回復が成就したかのように、「城門を通れ、通れ、民の道を開け」(10節)と宣言する。
 イスラエルはその罪の故に主なる神の裁きを受けた。にもかかわらず、主なる神はエルサレムの「再建にとりかかり/エルサレムを全地の栄誉としてくださる」(7節)。それならば、この世に希望を持つことの出来ない民族はない。だから、帰還するイスラエルの民を出迎える人々は、「諸国の民に向かって旗を掲げ」(10節)て然るべきである。
 主なる神は「見よ、あなたの救いが進んで来る。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い/主の働きの実りは御前を進む」と「地の果てにまで布告される」(11節)。この宣言の頂点にイエス・キリストがおられる。
 主なる神はイエス・キリストを通して新しい民を創造される。その民こそ、イエス・キリストによって回復された者の共同体、即ち教会である。教会は「聖なる民、主に贖われた者」(12節)である。

(2) 主の報復(63章1~6節)

 エドムはイスラエルと兄弟関係にありながら、長い間イスラエルを執拗に苦しめてきた。そして、イスラエルが滅びる時、彼らは手を叩いて喜び、イスラエルの民を殺し、略奪を行った(詩編137編7節)。
 主なる神は、そのようなエドムを踏み躙り(2節)、打ち破られる(1節)。主なる神はエドムについて「わたしは怒りをもって彼らを踏みつけ/憤りをもって彼らを踏み砕いた。それゆえ、わたしの衣は血を浴び/わたしは着物を汚した」(3節)と言われる。
 エドムだけではない。主なる神が「心に定めた報復の日」、「贖いの年」になると(4節)、「諸国の民」が裁かれることになる(6節)。「諸国の民」の中に主なる神を「助ける者」「支える者」が誰一人いなかったからである(3節、5節)。このことはイスラエルに対する救いが全く主なる神の「腕」によることも示している(5節)。
 主なる神は義をもって罪と悪を裁かれる方である。人間の罪と悪は余りにも深く、自分の力で自分を救うことは出来ない。救いはただ主なる神だけがなし得ることである。
 主なる神はイエス・キリストを通してご自分に敵対する者への裁きを行われる(ヨハネによる福音書5章27節)。そして、イエス・キリストを通して人間の罪を贖われる。イエス・キリストの贖いの故に与えられる恵みを感謝をもって受け、主をほめたたえよう。