Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 イザヤ書66章7~17節

聖書研究 イザヤ書66章7~17節(新共同訳 旧約pp.1170-1171)

(1) エルサレムと共に喜び祝え(7~14節)

 ご自分の民の救いに対する主なる神の情熱は驚くべきものである。主なる神は定められた時が来ると、約束されたイスラエルの回復を速やかに成し遂げられる。「陣痛の起こる前に男の子を産み落とした」(7節)女のように、瞬く間に捕囚地からの帰還とエルサレムの回復が成し遂げられ、民族が形成される(8節)。
 回復したエルサレムには喜びが溢れ(10節)、全ての民がまるで母親に抱かれて乳を飲む幼子のように慰めと喜びを与えられる(11節)。主なる神がエルサレムに対し、「平和を大河のように/国々の栄えを洪水の流れのように」(12節)与えて下さるからである。
 主なる神は、情熱をもってご自分の民を顧み、惜しみない愛と祝福を注いで下さる。苦難に終わりがないように見えても、鍛錬の時が終われば、主なる神は速やかに救い、豊かに報いて下さる。

(2) 火と剣で裁かれる主なる神(15~17節)

 主なる神は世を裁き、新しい天と新しい地を創造することを、イザヤを通して告げられた。「火をもって裁きに臨まれ/剣をもってすべて肉なる者を裁かれる」(16節)主なる神の姿は、主なる神の「怒り」と「憤り」の激しさを示している(15節)。その日、全ての人が主なる神の審判の前に立つことになる。
 その上で、「園に入」って偶像への祭儀を行うために「身を清め、自分を聖別」する者は、主なる神の裁きによって「ことごとく絶たれる」(17節)と告げられている。彼らは敬虔に見えても、実際には律法を破り、主なる神が禁止されている「豚や忌まわしい獣やねずみの肉を食らう者」(17節)であった(レビ記11章4節、7節、29節)。このことは主なる神の言葉を蔑ろにすることが主なる神の裁きを招くことを示している。
「滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い」(マタイによる福音書7章13節)とイエス・キリストは言われた。唯一の救い主であるイエス・キリストを信じ、罪を悔い改め、救いを得なければ、永遠の滅びを免れない。人の目を欺くことは出来ても、主なる神を欺くことは不可能である。