Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編84編1~13節

聖書研究 詩編84編1~13節(新共同訳 旧約pp.921-922)

(1) 主の庭を慕う(1~8節)

 詩人の口から心の奥深い所にあった「主の庭」に対する渇望が溢れ出した。その渇望はとても深く、「魂が絶え入りそう」になるほどであった(3節)。
 詩人は、富や名誉や権力よりも主の「祭壇」に「巣をかけて、雛を置いてい」る「つばめ」を羨ましく思った(4節)。主の「家に住」み、いつも主なる神を「賛美する」人が幸いな人であることを知っていたからである(5節)。
 詩人が神殿を慕い求めたのは、体が神殿から遠く離れ、主なる神との親しい交わりから遠のいていたためである。それ故、主なる神から「勇気」を与えられ、「心」に主なる神の御前に出ていく「広い道」のある人は「幸い」であると詩人は告白する(6節)。そのような人は「嘆きの谷を通るときも、そこを泉とする」(7節)ことの出来る恵みを受けている。その結果、「いよいよ力を増して進み」、最終的には主なる神の御前に立つようになる(8節)。

(2) 主なる神に依り頼む人の幸い(9~13節)

 詩人は主なる神に「あなたが油注がれた人を顧みてください」(10節)と叫び、積極的に祈り求めた(9節)。
 そして、主の「庭で過ごす一日」は他の所にいる「千日にまさる恵み」であると告白し(11節)、主なる神と共にいる時間を喜んだ。また、「主に逆らう者の天幕で」権力や富を味わうよりも「神の家の門口に立っている」方がよいと告白し(11節)、悪人の道に立たないことを願った。
 更に、詩人は、主なる神と共に歩む者にとって、主なる神は「太陽、盾」、「恵み、栄光」であり、「良いもの」を惜しみなく与えて下さる方であると歌っている(12節)。それ故、主なる神に「拠り頼む人」の人生には「幸い」が満ち溢れる(13節)。主なる神を信頼し、主なる神と共に歩む時、私達は他の所では味わえない大きな恵みを味わうことが出来る。