Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編85章1~14節

聖書研究 詩編85編1~14節(新共同訳 旧約pp.922-923)

(1) 主よ、慈しみを私達に示して下さい(1~8節)

 詩人はイスラエルの歴史の中で具体的に御業を行われた主なる神にすがって切に祈った。詩人は過去になされた主なる神の奇しい御業を覚えて告白している。その内容は、主なる神がイスラエルをバビロンの捕囚から救い出し、エルサレムに帰還させて下さったこと(2節)、イスラエルの民の罪を赦して下さったことである(3節)。主なる神はイスラエルに対する「激しい憤りを静められ」(4節)たのである。
 罪は主なる神と私達の間を遮る。しかし、全ての罪を覆って赦して下さる主なる神の恵みは罪に打ち勝つ。主なる神が恵みを施して下さりさえすれば、回復不可能な状況はない。それ故、詩人は主なる神に「慈しみをわたしたちに示し/わたしたちをお救いください」(8節)と切に祈った。それだけが、イスラエルの民が再び生きることの出来る道であり、救いと回復の道だからである。

(2) 主を畏れる人は救いに近い(9~14節)

 詩人は、主なる神が間もなく怒りを押しとどめ、「御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に」「平和を宣言され」(9節)ると確信していた。これは回復を意味する。
 主なる神の答えを確信した詩人は、神の民に二度と「愚かなふるまいに戻らないように」(9節)と命じている。主なる神が語られる言葉を前もって民に語っているのである。回復を願うならば、具体的に罪を清算しなければならない。そのようにする人が「主を畏れる人」であり、主なる神の救いはそのような人の「近く」にある(10節)。
 主なる神の救いが臨む時、主なる神の「慈しみとまこと」が「出会い」、「正義と平和」が「口づけ」する(11節)。そこには主なる神の「まこと」と「正義」、即ち秩序が回復される(12節)。そして、その地は「実りをもたら」(13節)す。これが回復された共同体に臨む主なる神の「栄光」である(10節)。