Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編89編39~53節

聖書研究 詩編89編39~53節(新共同訳 旧約pp.928-929)

(1) ダビデの契約の危機(39~46節)

 主なる神はダビデの「王国の王座をとこしえに堅く据える」と誓われた(36~38節、サムエル記下7章13節)。しかし、ダビデ王家の不従順によってその王朝は終焉を迎えた(39節)。前もって警告された通りに、主なる神は、ご自分に背いて離れ、偶像に仕えたダビデ王家の罪を「人間の杖、人の子らの鞭をもって」「懲らしめ」られた(サムエル記下7章14節)。
 主なる神は、ダビデと結んだ「契約を破棄し」、ダビデの「王冠を地になげうって汚し」(40節)、ダビデ王家が「辱め」(42節)と「恥」(46節)を受けるようにされた。ダビデの「防壁」は「ことごとく破」られ(41節)、ユダの民はバビロンの捕囚となった(42節)。主なる神はダビデ王家を「苦しめるもの」を「高く上げ」、その「敵が喜び祝うことを許された」(43節)。
 神の民は恵みと憐れみを取り去られる主なる神の裁きを恐れなければならない。主なる神の約束には条件的な面がある。主なる神の言葉に聞き従うならば、主なる神が約束された恵みを味わうことが出来る。しかし、聞き従わないならば、主なる神の怒りを受ける。

(2) 嘆きの祈り(47~53節)

 この詩の著者は、ダビデ王朝の終焉を前にして、「いつまで、主よ、隠れておられるのですか」(47節)と主なる神に祈った。主なる神の臨在を全く感じることの出来ない絶望の中で、彼は嘆きつつ訴えた。そして、「御怒りは永遠に火と燃え続けるのですか」(47節)と述べ、主なる神の憤りの時が速やかに過ぎるように切に祈り求めた。
 この詩の著者は、苦難の日々を生きる中で、人間は主なる神によって「むなしいものとして創造された」こと、その人生には限りがあることを告白する(48~49節)。その上で、ダビデと結ばれた契約は「どこに行ってしまった」(50節)のかと主なる神に問うている。そして、神の民が敵から受けた「辱め」を「御心に留めてくださ」るよう、主なる神に願い求めた(51~52節)。
 主なる神は時にご自分の民を苦難の中に置かれる。苦難の深いトンネルを通る中で、神の民がなすべきことは、主なる神に全てを告白して祈ることである。私達は主なる神に全てを包み隠さずに申し上げなければならない。