Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

William Barclay The Acts of the Apostles Chapter 2

William Barclay The Acts of the Apostles Chapter 2
【関心・疑問】

【論文名】
主キリスト(二・二二-三六)

【著者名】
William Barclay (鳥羽 徳子訳)

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
The Acts of the Apostles, The Daily Study Bible, Philadelphia: Westminster Press, 1955, 2nd ed., pp.13-27
(『使徒行伝』聖書註解シリーズ; 7, 東京: ヨルダン社, 1968年, pp.24-39)

【本文の構成】
ペンテコステの日
み霊の降臨
み霊のみわざ
神の息(二・一-一三)
最初の説教(二・一四-四二)
大いなる主の日(二・一四-二一)
主キリスト(二・二二-三六)
悔い改めなさい(二・三七-四一)
教会の特徴(二・四二-四七)

【内容の要約(ページ数)】

【引用したい文章(ページ数)】
主キリスト(二・二二-三六)

 この箇所にみちているのは、初代の説教者たちが思想の根底においていたものは何か、という問題である。(p.21; 邦訳p.32)

 (一) 十字架は偶然に起こったのではなく、神の定められた計画と予知とによるものであった(二三)。十字架が神の永遠の計画のもとにあったことは、使徒行伝が何度も述べている(三・一八、四・二八、一三・二九参照)。(p.21; 邦訳pp.32-33)

 使徒行伝の考えは、わたしたちがイエスの死について考える際におかしやすい、二つの大きなあやまりをただしてくれる。(p.21; 邦訳p.33)

 (1) 十字架は、他のすべての事がうまく行かなくなったとき、神が取られた緊急処置というものではない。それは、神の生命にかかわることである。(p.21; 邦訳p.33)

 (2) イエスがなされたことによって、神が人間に対する態度を一変させたと考えてはならない。イエスを怒れる神、妬みの神と対照的に、やさしい愛の神にしてしまってはならない。イエスがつかわされたのは「神によって」である。イエスをこの世に送られる計画を立てた方は、神である。十字架は、たえず、神のみ心に秘められた苦しみの愛を、この世にいるわたしたちに見せるために開かれた窓であった、といいかえることができる。(pp.21-22; 邦訳p.33)

 (四) 復活は、イエスが本当に神に選ばれた方であると決定する重要な証拠である。使徒行伝は、「復活の福音書」と呼ばれてきた。わたしたちは、「復活がなかったなら、キリストの教会はこの世に存在しなかった」ことを思い起こさねばならない。弟子たちは、自分の経験から、復活の真髄を宣べ伝えた。十字架ののち、彼らの夢は消え果て、それぞれに勝手な生活をするほど混乱し、意気消沈していた。これらを一変させて、絶望している人々を確信にみちた人にし、臆病者を英雄にしたのは、実に復活であった。(p.22; 邦訳p.34)

【コメント】