Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 使徒言行録3章1~10節

聖書研究 使徒言行録3章1~10節(新共同訳 新約p.217)

(1) 私達を見なさい(1~5節)

 ペトロとヨハネは「午後三時の祈りの時に神殿に上って行った」(1節)時、「美しい門」に座って、「神殿の境内に入る人に施しを乞う」人に出会った。彼は「生まれながら足の不自由な男」であった(2節)。
 ペトロとヨハネは「彼をじっと見て」、「わたしたちを見なさい」と言った(4節)。すると、その男はいつものように「何かもらえる」(5節)ことを期待して、使徒達を見上げた。彼の目には使徒も他の人も変わりはなかった。いつものように施しを貰えさえすればよかったからである。
 しかし、ペトロとヨハネは、施しを求めていた男に本当に必要なものを与えようと彼を「じっと見」(4節)つめた。二人は彼を救いに導くために見つめたのである。

(2) ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい(6~10節)

 ペトロは足の不自由な男に「持っているものをあげよう」(6節)と言った。ペトロには「金や銀はな」(6節)かった。しかし、「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(6節)と宣言し、「右手を取って彼を立ち上がらせた」(7節)。
 すると、施しを求めていた男はイエス・キリストの御名によって癒された(7節)。そして、彼は「歩き回ったり躍ったりして神を賛美し」(8節)た。この光景を見た「民衆」は(9節)、彼の「身に起こったことに我を忘れるほど驚いた」(10節)。
「ナザレの人イエス・キリストの名」だけに依り頼む。これこそ主の僕の姿勢である。今日教会はイエス・キリストではなく他のものに依り頼んではいないだろうか。イエス・キリストではなく他のものを与えようとしてはいないだろうか。私達にはイエス・キリストの御名によって断固と宣言出来る信仰があるだろうか。