Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 使徒言行録3章11~16節

聖書研究 使徒言行録3章11~16節(新共同訳 新約p.218)

(1) 何故私達を見つめるのですか(11~12節)

「美しい門」に座って施しを求めていた人は、最初ペトロとヨハネから「何かもら」(5節)うことしか考えていなかった。しかし、イエス・キリストの御名によって足を癒され、主なる神を讃美し、二人と一緒に神殿の境内に入った(8節)。
 変わったのは彼だけではない。それまで彼に注目する人は誰もいなかった。しかし、「その男がペトロとヨハネに付きまとっている」のを見て、「民衆は皆非常に驚」き、「ソロモンの回廊」に「集まって来た」(11節)。
 これを見たペトロは、そのような驚くべき変化と奇蹟が誰から出たことなのか、はっきりと語った。「この人を歩かせた」のは、個人の「力や信心」によるものではない(12節)。イエス・キリストから出たことである。
 だから、ペトロは自分達を「見つめる」(12節)人々の視線をイエス・キリストに向けさせた。イエス・キリストだけを見つめる時、更に大きな御業が現れる。

(2) イエス・キリストによる信仰(13~16節)

「生まれながら足の不自由な男」(2節)が癒されたのは、人から出た信仰ではなく、「イエスによる信仰」(16節)、即ちイエス・キリストによって与えられた信仰の故である。ペトロもイエス・キリストの御名によって彼を癒した(6節)。
 イエス・キリストは主なる神の「僕」(13節)であり、主なる神の「愛する子」、その「心に適う者」である(ルカによる福音書3章22節)。
 ところが、ユダヤ人は主なる神の御子を殺した。「聖なる正しい方を拒」(14節)み、「命への導き手である方を殺し」(15節)たのである。イザヤが預言したように、イエス・キリストは「わたしたちの背き」のために多くの苦しみに遭われた(イザヤ書53章5節)。
 だが、主なる神は「この方を死者の中から復活させ」た(15節)。そのことによってイエス・キリストこそ「命への導き手」であることをはっきりと示された。誰でもイエス・キリストの御名を信じるならば(16節)、罪と死の中から甦る。
 キリスト者使徒達と同じように「このことの証人」(15節)である。キリスト者が宣べ伝える福音は復活の祝福に満ちた知らせである。