Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

Jean Calvin Institutio Christianae Religionis 1559 3.21

Jean Calvin Institutio Christianae Religionis 1559 3.21
【関心・疑問】

【論文名】
第21章 神が、ある者を救いに、ある者を滅びに予定したもうた永遠の選びについて

【著者名】
Jean Calvin (渡辺 信夫訳)

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
Institutio Christianae Religionis (1559), Guilielmus Baum, Eduardus Cunitz, Eduardus Reuss (eds.), Ioannis Calvini Opera Quae Supersunt Omnia; 2, Corpus Reformatorum; 30, Brunsvigae: C.A. Schwetschke, 1864
(『キリスト教綱要』第3篇, 東京: 新教出版社, 2008年, 改訳版)

【本文の構成】
第1篇 創造者なる神の認識について
第2篇 キリストにおける贖い主なる神の認識
第3篇 キリストの恵みを捉える方式、そこから我々に生じる実り、それに伴う効果について
第4篇 神が我々をキリストとの交わりに招き入れ、かつそこに留め置かれる外的手段ないし支えについて

【内容の要約(ページ数)】
 カルヴァンによれば、神の選びについて、聖書によって明らかにされている以上に知りたがることへの警戒から、一切の言及を避ける人がいる。カルヴァンは、そのような人の慎み深さは称賛に値するとしつつも、自らを抑制することになかなか堪えられない人間精神にとっては殆ど益するところがないと批判する。寧ろ、カルヴァン聖霊の学校である聖書に精神と耳を開くことを求める。その上で、聖書が教えることを決して超えないようにすることこそ慎ましさの最終目標であると主張する。(3.21.3; CR.30, p.681; 邦訳pp.428-429)

【引用したい文章(ページ数)】
 すなわち、聖書は聖霊の学校であって、そこでは、知らねばならぬことや知って益あることは何一つ省略されず、またそれらを知るように導くこと以外は教えていない。だから、聖書で予定について示されているどんなことも信仰者から隠さないよう気をつけるべきである。我々は神の民から恵みを意地悪く横取りしているとか、隠されていた有益なものを公開したと言って我々が御霊を論難したり侮辱したりしていると見られないためである。私は言うが、キリスト者には、己れに向けられた神のあらゆる言葉に精神と耳を開いておくことを許すべきである。それについての節度は、「主が聖なる御口を閉じたもうや否や、人も問い尋ねる道を直ちに閉ざすべし」というものである。学ぶに際しては、先行したもう神に常に随行するつみでなく、神が教えることを終えたもうた時には、知ろうと願うことをやめる――これが慎ましさの最高目標である。(3.21.3; CR.30, p.681; 邦訳pp.428-429)

【コメント】
 カルヴァンは予定の教理について言及するのを避ける人に対して警告する。キリスト者は「己れに向けられた神のあらゆる言葉に精神と耳を開」かなければならない。また、「主が聖なる御口を閉じたもうや否や、人も問い尋ねる道を直ちに閉ざ」さなければならない。これがカルヴァンの姿勢である。信仰の躓きになり得るという理由で神の選びについて語らないとしたら、処女降誕や復活など聖書の主要な教理は悉く秘密のままにしておかなければならなくなる。(3.21.3; CR.30, p.681; 邦訳pp.428-429)