Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 使徒言行録4章36節~5章11節

聖書研究 使徒言行録4章36節~5章11節(新共同訳 新約pp.220-221)

(1) バルナバの献身(4章36~37節)

 ヨセフは「キプロス島生まれ」の「レビ族の人」であった(36節)。彼はエルサレムの近くに「持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた」(37節)。使徒達は彼を「バルナバ」――「慰めの子」という意味――と呼んだ(36節)。
 バルナバは、全ての持ち物を献げただけでなく、福音を宣べ伝えるために自分の人生を主に献げた。当時エルサレムの教会には主なる神に自分の全財産を献げた人が何人もいた(34~35節)。そのような中でバルナバの行いに言及がなされているのは、彼がいかに献身的な人生を送ったかを示していると言える。
 また、アナニアとサフィラの出来事の直前にバルナバの行いが記されているのは、彼が他の人々に従ってそのようにしたのではなく、自発的に財産を差し出したことを強調するためだろう。主なる神はこのように献身的な人物を通して教会を立てられる。

(2) アナニアとサフィラ(5章1~11節)

 アナニアとサフィラは「土地を売」(1節)った「代金」の一部を全部であるかのように偽って、使徒達のもとに持って来た(2節)。それに対し、ペトロは、二人が「土地の代金をごまかした」ことを見抜いた。そして、彼らが「サタンに心を奪われ、聖霊を欺い」(3節)たことを叱責した。
 ここでペトロは「売らないでおけば、あなたのものだったし、また売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか」(4節)と述べている。つまり、全財産を献げることは決して義務ではなかった。アナニアとサフィラは出したくなければ出さなくてもよかった。
 私達が所有しているものは全て主なる神からの預かり物である。私達は主なる神のものを使わせていただいている。そして、献金をささげることは、主なる神に預かり物をお返しする行為である。
 だから、主なる神に対して全財産を献げると言いながら、一部を自分の手元に残すのは、「人間を欺いたのではなく、神を欺いた」(4節)こと、「主の霊を試す」(9節)ことに他ならなかった。何故なら、そこには主なる神の所有物に対する盗みの心があるからである。
 アナニアとサフィラの死は(5節、10節)、主なる神を欺こうとすることが主なる神の目にどのように映るかを私達に教えている。二人は主なる神を誤魔化せると考えた。しかし、主なる神は私達の心を御覧になっている(ルカによる福音書18章9~14節、21章1~4節)。