Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

Jean Calvin Commentarius in Epistolas Petri Apostoli Prior

Jean Calvin Commentarius in Epistolas Petri Apostoli Prior
【関心・疑問】

【論文名】

【著者名】
Jean Calvin (乾 慶四郎訳)

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
Guilielmus Baum, Eduardus Cunitz, Eduardus Reuss (eds.), Ioannis Calvini Opera Quae Supersunt Omnia; 55, Corpus Reformatorum; 83, Brunsvigae: C.A. Schwetschke, 1896
(『ペテロ・ユダ書 ヨハネ書簡』カルヴァン新約聖書註解; 14, 東京: カルヴァン著作集刊行会 (発売 東京: 新教出版社), 1963年)

【本文の構成】

【内容の要約(ページ数)】

【引用したい文章(ページ数)】
Quae in ignoranèia.
無知であったそれ以前の

Tempus ignorantiae vocat antequam in fidem Christi vocati essent. Unde discimu8 incredulitatem malorum omnium fontem esse. Neque enim ignorantiae nomen usurpât ut solemus vulgo. Palsum enim illud est platonicum dogma, sola ignorantia peccari. Verum utcunque redarguat infidèles conscientia, errant nihilominus tanquam caeo in tenebris: quia neque viam tenent, et luce vera privati sunt. In hunc sensum dicit Paulus (Eph. 4, 17), Ne posthac ambuletis, quemadmodum et gentes in vanitate mentis suae: quae mentem habent obtenebratam, alienatae a vita Dei propter ignorantiam quae in illis est. Ubi non viget Dei notitia, illic regnum occupant tenebrae, error, vanitas, privatio lucis et vitae. Neque tarnen haec impediunt quominus male sibi conseii sint impii peccando, suumque in coelo iudicem, et intus apud se camificem sentiant. In summa, quoniam regnum Dei regnum est lucis: quicunque ab eo alieni sunt, caecos esse, et in labyrintho errare necesse est. (Comm. 1 Pet. 1:14, CR 83, pp.221-222)
 かれら在外のユダヤ人たちがキリストの信仰へ招かれるまえの状態を、「無知の時期」とペテロはよぶ。ここからわれわれは、不信仰はすべての悪の源泉であることを学ぶ。だからペテロは、この無知という語をふつうの意味には使っていないのである。ゆえに、「人はただ無知ゆえに過ちを犯す」とするプラトンの判断もまた間違っている。しかし不信仰なひとびとがかれらの良心によって凝視されているとはいえ、しかもかれらは、闇のなかを歩む盲人のように、さまよっているのである。なぜならばかれらは、道の一方の側だけしか知っていないからである。もう一方の側の真実の光を見ることを、かれらは禁じられている。この意味で、パウロもまた「今後、異邦人がむなしい心で歩いているように、歩いてはならない。彼らの知力は暗くなり、その肉なる無知と心の硬化とにより、神のいのちから遠く離れている」(エペソ4:18)という。ゆえに神を知らぬところには、暗黒・誤り・虚栄・光明と生命との喪失が支配しているのである。けれどもこれらのことがらは、不信仰なひとびとが罪を犯したときに、良心のなかで、悪いことをしてしまった、と感じ、また、かれら自身、天において裁かれるのだ、かれらの心のなかにかれら自身の死刑執行人がいるのだ、と思うことを、すこしも妨げない。つまり神の国は光の国であるから、そこから離れているひとびとはすべて盲目になり、いわば迷路のなかをさまようことになるのは、あたりまえである。(邦訳p.43)

【コメント】
 カルヴァンによれば、神の国に属するキリスト者だけが、主なる神の真実の光に照らされて歩むことが出来る。確かに、光の国である神の国に導き入れられることなしに、真実の光の内に歩むことは決して出来ない。神の国に導き入れられていない者は、闇の中を手探りで歩み続ける以外にはない。そして、真実の光を求めても見つけ出すことは不可能である。(Comm. 1 Pet. 1:14, CR 83, pp.221-222, 邦訳p.43)