Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 使徒言行録7章37~45節

聖書研究 使徒言行録7章37~45節(新共同訳 新約p.226)

(1) 預言者モーセ(37~38節)

 ステファノは、主なる神がモーセを「指導者また解放者として」(35節)立て、モーセを通してイスラエルを導いたことをイスラエルの人々に語った。
 その上で、ステファノは「神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる」(37節)というモーセの預言を引用した。そして、イエス・キリストこそ、モーセが語った「わたしのような預言者」であると強調した。
 また、ステファノは、荒れ野を旅するイスラエルの民を「荒れ野の集会」と呼び、新約の教会と結び付けている。そして、モーセが「命の言葉」を授かり、イスラエルに「伝えてくれた」ことを語る(38節)。この「命の言葉」は神の民イスラエルが従うべき命の道であった。
 主なる神の救いの御業は、このように時代を超えて行われ、イエス・キリストを通して完成された。

(2) 偶像を拝むイスラエル(39~45節)

 偶像礼拝の誘惑はいつも私達の近くにある。イスラエルの民は、エジプトを「なつかしく思い」(39節)、「雄牛の像を造」り、「自分たちの手で造った」「偶像にいけにえを献げ」た(41節)。
 それに対し、主なる神は「顔を背け」、イスラエルの民が偶像を「拝むままにしておかれ」た(42節)。罪人を罪に引き渡すことは、主なる神が罰せられる方法の一つである(ローマの信徒への手紙1章24~28節)。
モレクの御輿」、「ライファンの星」(43節)は、イスラエルの民がカナンに定着した後、その子孫が持ち込んだアッシリアの偶像を指している(列王記下21章3節、23章5節、エレミヤ書8章2節、19章13節、アモス書5章26節)。
 その後イスラエルは「ヨシュアに導かれ、目の前から神が追い払ってくださった異邦人の土地を占領する」(45節)ことが出来た。だが、主なる神を拒み、偶像に仕えることを止めなかったために、結局彼らはその地から追い出されてしまった。これはキリスト者がいつも忘れずに心に刻むべき教訓である。