Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 使徒言行録7章46~60節

聖書研究 使徒言行録7章46~60節(新共同訳 新約pp.226-227)

(1) 先祖の罪を繰り返したイスラエル(46~53節)

 ステファノはダビデとソロモンが「神の住まい」(46節)を準備したことについて語る。その一方で、「いと高き方」である主なる神は「人の手で造ったようなものにはお住みにな」(48節)らないことも指摘する。
 しかし、イスラエルは、エルサレムの神殿を中心に、主なる神の期待とは異なった形式的な宗教を確立し、「先祖が逆らったように」、「いつも聖霊に逆ら」う不従順の民となった(51節)。
 その上、先祖が預言者を「迫害し」、「殺し」たように、彼らは預言者が「来られることを預言した」「正しい方」イエス・キリストを「殺す」という途轍もない罪を犯してしまった(52節)。
 ステファノは、説教を通して、彼らの悪しき行いを指摘し、悔い改めを促した。私達は、主なる神の言葉を聞かず、聖霊に逆らう時、いかに恐ろしい結果を生むかを悟らなければならない。

(2) ステファノの殉教(54~60節)

 不義の歴史が再び繰り返された。イスラエルの人々は、「聖霊に逆らって」預言者を「殺し」、イエス・キリストを「殺した」 ように(51~52節)、ステファノを「都の外に引きずり出し」、「石を投げ」(58節)て殺害した。
 イスラエルの人々は、「聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエス」(55節)を仰ぐステファノの言葉を黙って聞くことが出来なかった(56節)。彼らは「大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかか」(57節)った。罪を犯しながら、自分達の行いが正当であるかのように「証人たち」(58節)を立てる彼らの姿は、実に哀れなものである。
 それに対し、ステファノは、十字架でイエス・キリストが天の父に祈られたように(ルカによる福音書23章34節、46節)、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と「主に呼びかけて」、「眠りについた」(59~60節)。
 こうしてステファノは不義の犠牲となった。だが、イエス・キリストの福音は、その後「ステファノの殺害に賛成し」(8章1節)たサウロを通して更に広がっていく。