Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

Christopher Dawson The Movement of World Revolution X

Christopher Dawson The Movement of World Revolution X
【関心・疑問】

【論文名】
X キリスト教東洋文化

【著者名】
Christopher Dawson (深瀬 基寛訳)

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
The Movement of World Revolution, New York: Sheed & Ward, 1959
(『革命の世界史』グリーンベルト・シリーズ; 13, 東京: 筑摩書房, 1963年)

【本文の構成】
序章
 I ヨーロッパ史と世界史
西欧文化における革命
 II ルネッサンス宗教改革
 III 合理主義と革命
西欧文化の世界的膨張
 IV 西欧キリスト教国の伝道的膨張
 V 西欧イデオロギーの拡散
アジアとヨーロッパ
 VI 緒言 アジアの反乱
 VII 発見の時代
 VIII 東洋諸帝国の没落
 IX 東洋ナショナリズムの勃興
 X キリスト教東洋文化

【内容の要約(ページ数)】

【引用したい文章(ページ数)】
 もしもキリスト教が数ある他の世界宗教のなかの一種というだけのものならば、これもまたそれらの宗教の御多分に洩れず、失脚し消滅するであろう。しかしわれわれはそれがそういうものでないことを知っている。キリストが世界の精神的要求にたいする唯一の解答であること、「教会」はキリストの福音をすべての国民にもたらす普遍的使命を担っていることを知っている。(邦訳p.204)

 しかしわれわれキリスト教徒は、わたしが右にのべたようなこの新しい世界での使徒の任務を遂行するだけの力と洞察力をそなえているであろうか。機会は大きいが困難もまた大きい。これを征服するためには大きな精神的エネルギーを要するであろう。一方には近代世俗主義と唯物主義の消極的反対勢力がある。それは「共産主義」において恐るべき擁護者をもち、またシナと中央アジアにおけるキリスト教的行動をもっとも困難なものにしている。また他面においては宗教的ナショナリズムの挑戦がある。それはキリスト教を外来の一勢力――外国人による征服のひとつの手先――として排斥し、自国への忠誠を国民の宗教的伝統への忠誠と同一視しようとする。この態度は、それが宗教的というよりも政治的であり、かならずしも宗教的信仰の再生を必要としないという点で逆説的である。しかしながらそれは伝道反対の宣伝と反キリスト教イデオロギーに導くものであって、それが伝道的活動の面で、ことに教育の面で重大な障害を設けることになるのである。(邦訳pp.204-205)

 これら二つの困難はいずれも乗り越ええない障害とはならない。しかしそれらにたいする最善の対処法が従来発見されているとはわたしは思わない。この点に研究の必要が多分にある。また新しい実験と技術の道もおそらく残されている。しかしわたしはこの困難に対処する道は、文化的基底よりもむしろ国民的基底にあることを信ずる。というのはすでに説明したように、古代文明の閉された世界に透入することはもはや問題でないからである――この透入の仕事はすでに、東洋の新しいナショナリズムを創造した世俗的勢力が先手を打っているからである。いまでは個々の国民集団に個別的に接近することが問題である。(邦訳p.205)

 この接近はいくつかのことなる平面において行なうことができる。第一にもっとも見やすい接近法は、近代東洋の創造者であり指導者である教育を受けた新しい階級にむかってなさるべきではないかと思われる。かれらはわれわれと同じ世界・社会に属し、われわれと同じ問題に直面しているゆえにもっとも接近しやすい階級である。この点キリスト教はいくらか有利な立場にある。というのはキリスト教はおそらくユダヤ教を例外として、他のいかなる宗教よりも世俗化された社会の宗教的諸問題について豊富な経験をもつからである。そのうえ教育を受けたアジア人は東洋文化の古典文学よりも西欧文学で教育される傾向があり、このことは相互の論議と理解のためのひとつの基底を提供してくれるからである(8)。とはいっても、他面においてキリスト教にたいする国民主義的、政治的偏見、いかなる形にもせよ伝道的活動にたいするそういう偏見がもっとも抜きがたいのも、このレベルなのである。というのはひとりの人間がかれ自身の宗教を実践することが浅ければ浅いほど、それだけキリスト教の普遍的要求に不満を感ずることがはなはだしくなる傾向があるからである。(邦訳pp.205-206)

(8) インドネシアの知識人はみなグレアム・グリーンを読んでいるというはなしを聞いたことがある、これはどうも誇張ではないかと思われるが。(邦訳p.206)

【コメント】