Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

Reinhold Niebuhr Moral Man and Immoral Society Chapter One

Reinhold Niebuhr Moral Man and Immoral Society Chapter One
【関心・疑問】

【論文名】
第一章 人間と社会――共同生活の技術

【著者名】
Reinhold Niebuhr (大木 英夫訳)

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
Moral Man and Immoral Society: AStudy in Ethics and Politics, New York: Charles Scribner’s Sons, 1953, pp.1-22
 (『道徳的人間と非道徳的社会』イデー選書, 東京: 白水社, 1998年, pp.21-40)

【本文の構成】
一九六〇年版への序
緒論
第一章 人間と社会――共同生活の技術
第二章 個人における社会生活のための理性的資源
第三章 個人における社会生活のための宗教的資源
第四章 国家の道徳性
第五章 特権階級の倫理的態度
第六章 プロレタリア階級の倫理的態度
第七章 革命による正義の実現
第八章 政治的力による正義の実現
第九章 政治のなかに道徳的価値を保持すること
第十章 個人的道徳と社会的道徳のあいだの相克

【内容の要約(ページ数)】

【引用したい文章(ページ数)】
 たしかに、知性によって慈愛の衝動の射程をのばすことは可能であるし、したがって、有機的血族的関係により結ばれている人間関係以外の人間にたいしても、その必要や権利を考慮するようになるかもしれない。しかし通常の道徳的能力のなかには、彼らが要求するものを彼らにあたえることを不可能ならしめるような決定的制約が存するのである。十八世紀以降の教育家たちは、もっと教育が一般化し、あるいはもっと教育が適切なものになるならば、正義は自発的協力によって達成されるだろうといった妄信的幻想にとらわれてきたけれども、もっとたしかと信ぜられることは、慈愛心や善意とはけっしてそれほど純粋なものでもなく強力なものでもなく、すべての理性的あるいは宗教的モラリストたちが陰に陽に期待するような社会的ユートピア、政府なき千年王国の可能性を創造することは不可能だということである。(p.3; 邦訳pp.22-23)

 政治とは、歴史の終わりにいたるまで、良心と権力とがぶつかり合う場であり、人間生活のもつ倫理的要素と強制的要素とが相互にいり組み、両者間の一時的不安定な妥協が成り立つ場なのである。社会的闘争を解決するためのデモクラティックな方法とは、それをロマンティックな人間は強制的なものにたいする倫理的なものの勝利だとうたいあげるが、一見そうみえるのに反して、実はもっともっと強制的なものである。多数派が主導権をにぎるのは、少数派が多数派を正しいと信じるからではない(多数派にそういった倫理的威信を認めるような少数派はほとんどいない)、そうではなくて、多数派のもつ得票数が社会的強大さのシンボルだからである。もし少数派が、あるとき多数の力を超克するような戦略的有利さをもつと信じ、またあるとき少数派がその目的遂行を意志し、あるいはあるときその社会的地位が決定的にあやうくなるというそういった場合には、少数派は多数派の命令を受けいれることを拒否するのである。軍や経済界の巨頭たちや革命家たちは、伝統的にみて多数派の意志にそむいてきたといえる。(p.4; 邦訳pp.23-24)

 誇りとか、ねたみとか、失恋とか、むなしさとか、より大きな宝物を得たいとする貪欲、より大きな領土支配権の欲求、王族兄弟父子間のつまらない憎悪、一時的な感情、子供じみた気まぐれ、これらのすべてが一時的なものではなくて、永続的にくり返される国際的紛争の原因であり、その契機であった。人類の知性が高まったこと、また国王が人民にたいする責任をもっと自覚するようになったことなどは、権力者の気まぐれにたいして抑制を付するようになったが、しかしその自己利益追求にたいしては抑制を付しはしなかった。いまでも国王たちが誇りと虚栄のため社会的闘争に従事するかもしれないが、それは彼らの個人的野望を、集団的野望やその構成員個人のあわれな虚栄心や感情と混然一体化させ、あるいはそれらによって神聖化させうるかぎりにおいて可能である。ナポレオンの物語は、近代史に属するのであって、古代史に属するのではない。彼は、フランスの愛国主義や革命的情熱の道具として自分を示すことができるかぎりにおいて、彼の権力への思い上がった欲望の充足のためヨーロッパを血で洗うことが可能であった。デモクラシーの感情はヨーロッパの伝統的絶対主義と対立するものであるが、それはいちおう暴政を破壊しようとしたのにそれよりもっと血なまぐさく恐るべき暴政を生むべく利用された。そしてフランス革命の平等と自由と兄弟愛の夢は、あまりに急速にナポレオン帝国主義の悪夢に変わってしまったのであるが、以上のような事実は、人間が社会の諸問題を解決するのに必要とする人間的資源がいかに不適合なものであるかを示す悲劇的な事実である。ドイツ皇帝は、彼の伯父にあたる英国王と海軍力において対等な立場に立とうとして大海軍を欲し、この子供じみた虚栄心によって第一次世界大戦は避けられないものとなったのである(1)。(pp.16-17; 邦訳pp.35-36)

【コメント】
 キリスト者は聖書的なものと非聖書的なものを識別することを求められている。その上で、聖書に反する部分は受け入れない一方で、反しない部分については、相手の立場を考慮しつつ、検討すべきであろう。
 ニーバーは聖書を神話として捉える。それは不可避的に、創造、堕罪、処女降誕、贖罪、体の復活、再臨といった啓示の核心的出来事に対する彼の見解に影響を及ぼしている。ニーバーの聖書解釈は到底受け入れることは出来ない。
 その一方で、本書における現実の諸問題に対するニーバーの洞察・分析からは学ぶべきことがある。