Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

Niebuhr, Moral Man and Immoral Society, pp.249-250 (大木訳『道徳的人間と非道徳的社会』p.263)

Reinhold Niebuhr, Moral Man and Immoral Society: A Study in Ethics and Politics, New York: Charles Scribner’s Sons, 1953, pp.249-250
(大木 英夫訳『道徳的人間と非道徳的社会』イデー選書, 東京: 白水社, 1998年, p.263)

「社会的な論争において怒りを最小限になくしていくことに価値を認めることは、怒りが無価値であるとか、それが完全に悪だとかいうことを意味するものではない。怒りとは、ロス教授がみているように、不正義にたいする感受性のたんに自己中心的(エゴイスティック)側面にすぎない。それがまったく欠如するということは、社会的知性の欠乏、あるいは道徳的活力の欠乏を意味しているだけである。自分の人種にたいしおかされた不正義を怒る黒人は、なんの感情的反応もなくその不正義に忍従している黒人よりも、その人種の究極的解放にたいしより大きな貢献をする。しかし、その怒りのなかから自己中心的(エゴイスティック)な要素が除去されるならばされるほど、怒りは、ますます純粋な正義の担い手となるのである。怒りのうちにふくまれる自己中心的(エゴイスティック)要素は客観的立場からは正当とみなされることがあるかもしれない。しかし社会的論争の相手側からみれば、それはけっして正当とはみられず、そしてただたんに相手の自己中心主義(エゴイズム)をかきたてるだけなのである」