Five Solas Ministry

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Reinhold Niebuhr Moral Man and Immoral Society Chapter Seven

Reinhold Niebuhr Moral Man and Immoral Society Chapter Seven
【関心・疑問】

【論文名】
第七章 革命による正義の実現

【著者名】
Reinhold Niebuhr (大木 英夫訳)

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
Moral Man and Immoral Society: A Study in Ethics and Politics, New York: Charles Scribner’s Sons, 1953, pp.169-199
 (『道徳的人間と非道徳的社会』イデー選書, 東京: 白水社, 1998年, pp.187-215)

【本文の構成】
一九六〇年版への序
緒論
第一章 人間と社会――共同生活の技術
第二章 個人における社会生活のための理性的資源
第三章 個人における社会生活のための宗教的資源
第四章 国家の道徳性
第五章 特権階級の倫理的態度
第六章 プロレタリア階級の倫理的態度
第七章 革命による正義の実現
第八章 政治的力による正義の実現
第九章 政治のなかに道徳的価値を保持すること
第十章 個人的道徳と社会的道徳のあいだの相克

【内容の要約(ページ数)】

【引用したい文章(ページ数)】
 共産主義の理論は、独裁とはたんに過渡的状態にすぎず、社会全体が共産主義の平等の理想を受けいれ、だれひとりとしてそれに反対する者はないようになるやいなや、その独裁は不必要になるということである。[しかし]この理論は、ただたんに権力者においてのみならずふつうの人間においてあらわとなっているところの人間本性の諸事実を正しくみていない。もしもロシアの寡頭支配者がその権力を捨てるというならば、それは有史以来最初のこととなるであろう。それが、その権力を、相続によって移譲できないということは明らかだが、しかし、権力の相続ということが権力の乱用の原因でもないし、権力の永続化の基礎でもない。[たとえば]アメリカのビジネスにおける寡頭支配者は、ヨーロッパの地主的貴族のような世襲ではない。しかし、その理由をもって彼らを、その権力や特権の固執において、より高潔であるとか、より執拗でないとかいえないのである。共産主義の教条にしたがえば、独裁とは、プロレタリア国家の敵が「一掃される」まで必要であるということであり、しかもその外敵は、たとい内部の敵がことごとく破られたとしても、その後何十年いや何百年も存続するのであるから、独裁の権力は、なんのやましさの自覚なしに、無限に永続することができるのである。(pp.193-194; 邦訳pp.209-210)

 宗教的理想主義また政治的理想主義のもつ絶対主義は、英雄的行為へのすばらしい刺激ではあるが、それは直接的具体的諸状況においては危険な導き手である。宗教においてそれは不条理を生み出し、政治においては残忍さを生み出す。そしてそれは正当とみなされるような成果を生み出すことに失敗する。なぜならば、人間本性の惰性は絶対的理想にとって復讐の女神(ネメシス)のようなものだからである。社会が絶対的なものをあこがれるよりも、個人がそうするのは、もっと正当性が大きく、もっと危険性が少ないであろう。たとい個人が支払うべき代価が高いとしても、その努力の不毛な結果は、ただ彼ら自身の損失となるだけである。しかもその失敗は、崇高な悲劇であったという感覚によってつぐなわれるかもしれない。しかし、社会が絶対的なものにいたろうとギャンブルを試みるときには、何百万もの人間の福祉を危険にさらすのである。そして、強制なるものは社会の政策の不可欠の道具であるゆえ、絶対主義は、この道具を耐えがたい専制と残虐とにかえてしまうのである。個人の場合には無害なまたは憐憫をもよおす奇行の相を呈してあらわれるファナティシズムも、いったんそれが政治的な政策において表現される場合には、人類にめぐみの門を閉ざすことになるのである。(p.199: 邦訳p.215)

【コメント】