Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

Reinhold Niebuhr Moral Man and Immoral Society Chapter Ten

Reinhold Niebuhr Moral Man and Immoral Society Chapter Ten
【関心・疑問】

【論文名】
第十章 個人的道徳と社会的道徳のあいだの相克

【著者名】
Reinhold Niebuhr (大木 英夫訳)

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
Moral Man and Immoral Society: A Study in Ethics and Politics, New York: Charles Scribner’s Sons, 1953, pp.257-277
 (『道徳的人間と非道徳的社会』イデー選書, 東京: 白水社, 1998年, pp.270-290)

【本文の構成】
一九六〇年版への序
緒論
第一章 人間と社会――共同生活の技術
第二章 個人における社会生活のための理性的資源
第三章 個人における社会生活のための宗教的資源
第四章 国家の道徳性
第五章 特権階級の倫理的態度
第六章 プロレタリア階級の倫理的態度
第七章 革命による正義の実現
第八章 政治的力による正義の実現
第九章 政治のなかに道徳的価値を保持すること
第十章 個人的道徳と社会的道徳のあいだの相克

【内容の要約(ページ数)】

【引用したい文章(ページ数)】
 道徳性における内面的視野と外面的視野とを調和させようとする功利主義の試みは、不可避なものであり、またある限界内では可能なものでもある。功利主義は、宗教的道徳性や政治的道徳性がおちいりやすいゆきすぎや矛盾や危険を回避している。それは、宗教的道徳性とくらべ、利己的衝動にたいしより大きな道徳的肯定をあたえることになり、また、政治的道徳性とくらべ、強制や闘争や暴力をもっと断固と否定することによって、両者の相克を解決しようとつとめるのである。しかし功利主義は、宗教的道徳よりも、政治的道徳よりも、リアリスティックではない。それは、自己利害と社会利害との合致を早まって安易に前提し、利己主義と利他主義とのみせかけだけの調和をつくり上げている。道徳論における功利主義的理性主義者の多くは、バトラー主教とともにこう信じている。「慈愛と自己愛は異なるけれども、……それにもかかわらず両者は完全な一致をもつものであって、それゆえ、われわれ自身にとって最大の満足は、適正な程度に慈愛をもつということにかかわるのであり、また、自己愛は、われわれをして社会にたいして正しい態度をとらしめる唯一主要な安全保障となるのである」(1)。したがって道徳論における理性主義は、宗教とくらべて、自己主張に内的抑制を加えることを少なくなるよう強調し、政治的リアリズムが要求するものとくらべて、社会的抑制がそんなに必要であるとは、あまり信じないのである。(p.261; 邦訳pp.274-275)

【コメント】
 キリスト者は聖書的なものと非聖書的なものを識別することを求められている。その上で、聖書に反する部分は受け入れない一方で、反しない部分については、相手の立場を考慮しつつ、検討すべきであろう。
 ニーバーは聖書を神話として捉える。それは不可避的に、創造、堕罪、処女降誕、贖罪、体の復活、再臨といった啓示の核心的出来事に対する彼の見解に影響を及ぼしている。ニーバーの聖書解釈は到底受け入れることは出来ない。
 その一方で、本書における現実の諸問題に対するニーバーの洞察・分析からは学ぶべきことがある。