Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

Niebuhr, Moral Man and Immoral Society, p.261 (大木訳『道徳的人間と非道徳的社会』pp.274-275)

Reinhold Niebuhr, Moral Man and Immoral Society: A Study in Ethics and Politics, New York: Charles Scribner’s Sons, 1953, p.261

(大木 英夫訳『道徳的人間と非道徳的社会』イデー選書, 東京: 白水社, 1998年, pp.274-275)

 

「道徳性における内面的視野と外面的視野とを調和させようとする功利主義の試みは、不可避なものであり、またある限界内では可能なものでもある。功利主義は、宗教的道徳性や政治的道徳性がおちいりやすいゆきすぎや矛盾や危険を回避している。それは、宗教的道徳性とくらべ、利己的衝動にたいしより大きな道徳的肯定をあたえることになり、また、政治的道徳性とくらべ、強制や闘争や暴力をもっと断固と否定することによって、両者の相克を解決しようとつとめるのである。しかし功利主義は、宗教的道徳よりも、政治的道徳よりも、リアリスティックではない。それは、自己利害と社会利害との合致を早まって安易に前提し、利己主義と利他主義とのみせかけだけの調和をつくり上げている。道徳論における功利主義的理性主義者の多くは、バトラー主教とともにこう信じている。『慈愛と自己愛は異なるけれども、……それにもかかわらず両者は完全な一致をもつものであって、それゆえ、われわれ自身にとって最大の満足は、適正な程度に慈愛をもつということにかかわるのであり、また、自己愛は、われわれをして社会にたいして正しい態度をとらしめる唯一主要な安全保障となるのである』。したがって道徳論における理性主義は、宗教とくらべて、自己主張に内的抑制を加えることを少なくなるよう強調し、政治的リアリズムが要求するものとくらべて、社会的抑制がそんなに必要であるとは、あまり信じないのである」