Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

William Barclay The Acts of the Apostles Chapter 10

William Barclay The Acts of the Apostles Chapter 10
【関心・疑問】

【論文名】
敬虔な兵士(一〇・一-八)
ペテロとコルネリオの出合い(一〇・一七-三三)

【著者名】
William Barclay (鳥羽 徳子訳)

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
The Acts of the Apostles, The Daily Study Bible, Philadelphia: Westminster Press, 1955, 2nd ed., pp.81-89
(『使徒行伝』聖書註解シリーズ; 7, 東京: ヨルダン社, 1968年, pp.88-94)

【本文の構成】
敬虔な兵士(一〇・一-八)
ペテロの学んだ教訓(一〇・九-一六)
ペテロとコルネリオの出合い(一〇・一七-三三)
福音の要点(一〇・三四-四三)
異邦人の参加(一〇・四四-四八)

【内容の要約(ページ数)】

【引用したい文章(ページ数)】
敬虔な兵士(一〇・一-八)

 (二) 百卒長は、神を恐れる人であった。新約聖書時代、この言葉は専門用語で、多くの神々や、不道徳、あるいは祖先の信仰に飽き飽きし、不満を感じてユダヤ教に帰依した異邦人にあてて用いた。このような人々は、割礼と律法を受け入れなかったけれども、会堂に出席して唯一の神を信じ、ユダヤ教が要求するきよい倫理に従った。(pp.82-83; 邦訳p.89)

 第二に、この百卒長は神を求めていた人であった。神を求めていたからこそ、神が彼を見出して下さったのである。(p.83; 邦訳p.89)

 (三) 百卒長は施しをする人であった。施しをするほど親切な人であった。神を求める心は、彼に人を愛させた。そして仲間を愛する人神の国から遠くない。(p.83; 邦訳p.89)

 (四) 祈りの人であった。百卒長は、多分、自分が祈りをささげている神を明確には知らなかったであろう。しかし、与えられた光に導かれて、百卒長は神に近づく生活をしていたのである。(p.83; 邦訳p.89)

ペテロとコルネリオの出合い(一〇・一七-三三)

 この箇所で起こったことはすばらしい。ここでもう一度、ユダヤ人が異邦人に接する態度を思い出してみよう。ユダヤ人は、神が用いられるのはユダヤ人のみであり、他の国民は全く神の恵みと特権に浴し得ないと信じていた。徹底的に厳格なユダヤ人は、異邦人と全く接触しないばかりか、律法を守らないユダヤ人とさえ交渉をもたなかった。厳格なユダヤ人なら絶対しなかったことが二つある。律法を守らないような人を客に迎えなかったし、その人の客にもならなかったのである。これを念頭において、ペテロのしたことを見なければならない。(p.86; 邦訳p.91)

 コルネリオから送られた人たちが門口に立ったとき――この人たちは、ユダヤ人の立場を知って門口より中には入らなかった――ペトロは彼らを迎えて泊まらせた(二三)。ペテロがカイザリヤに到着し、門口でコルネリオに迎えられたとき、その敷居をまたごうかどうしようか少しも迷わず、中に入って行った(二七)。全く驚異的な仕方で障害物が取り去られつつあった。これこそ、キリストのみわざを象徴しているのである。(p.86; 邦訳p.91)

 初期のキリスト教の特徴は、障害を取りこわしてしまう点にあった。そして今でも、その必要がある場合には、キリスト教は同じことができる。(p.87; 邦訳p.92)

【コメント】