Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 エレミヤ書23章23~32節

聖書研究 エレミヤ書23章23~32節(新共同訳 旧約p.1221)

(1) 天をも地をも満たしている主なる神(23~29節)

 主なる神は「天をも地をも」「満たしている」(24節)方である。主なる神の目を避けて、「隠れ場に身を隠した」としても、主なる神はその人を「見つけ」ることがお出来になる(24節)。主なる神は私達の全ての事情をご存知であり、私達が密かに犯した罪までも全て見ておられる。
「偽りを預言する預言者たち」は、主なる神の御名によって「わたしは夢を見た、夢を見た」と言う(25節)。しかし、実際には「自分の心が欺くままに預言」(26節)している。自分の心から出た偽りの考えは、民を主なる神の御前に立たせることが出来ない。逆に、主なる神の「名を忘れるように仕向け」(27節)、この世のものを求めさせる。
 一方、真に主なる神の「言葉を受けた者」は、状況や環境にとらわれず、「忠実に」主なる神の御心を「語る」(28節)。真の預言者が伝える主なる神の言葉は、罪を燃やす「火」のようであり、高ぶりと虚栄を「打ち砕く槌」のようである(39節)。即ち、私達の生き方に変化を促し、主なる神の御前へと立ち返らせる。

(2) 偽りの預言者に立ち向かう主なる神(30~32節)

 偽りの預言者は、神の民を破滅へと導くので、必ず主なる神の裁きを受ける。主なる神は偽りの預言者に「立ち向かう」と3度も言われた(30~32節)。
 偽りの預言者は、「仲間どうしで」主なる神の「言葉を盗み合う」者である(30節)。彼らは、主なる神から「遣わ」されたわけでも、「命じ」られたわけでもないにもかかわらず(32節)、「『託宣』と称し」て「自分の舌先だけで」偽りを語った(31節)。
 当然のことながら、偽りの預言者の言葉は、民の霊的生活にとって有害ではあっても「何の益ももたらさない」ものである(32節)。彼らは「偽りと気まぐれをもって」民を「迷わせ」た(32節)。
 主なる神は、ご自分の言葉を「忠実に」(28節)語る者を通してご自分の民が守られ、養われることを願われる。それ故、主なる神の言葉の奉仕者は、自分に与えられた使命を正しく認識しなければならない。また、神の民は、偽りの預言者の言葉を聞いてはならず、主なる神の言葉の奉仕者のために祈らなければならない。