Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 ガラテヤの信徒への手紙5章1~12節

聖書研究 ガラテヤの信徒への手紙5章1~12節(新共同訳 新約p.349)

(1) 奴隷の軛に二度と繋がれてはならない(1~6節)

 キリスト者イエス・キリストにあって自由人である。イエス・キリストが「わたしたちを自由の身にしてくださった」(1節)からである(ルカによる福音書4章18節、ヨハネによる福音書8章32節)。それ故、「福音の真理」(2章14節)を損なう「軛」に「つながれ」ることは、再び「奴隷」に戻ることを意味した(1節)。
 パウロが異邦人のキリスト者に割礼を強いるユダヤ主義者の要求に強く反対したのもそのためであった。イエス・キリストを救い主と信じても、なお割礼を受けなければならないという要求は、福音の本質に関わるものであった。それは、「律法全体を行う義務」(3節)を負うことによって、「義とされようとする」(4節)だからである。これはイエス・キリストを「何の役にも立たない方」(2節)、自分とは「縁もゆかりもない者」(4節)とすることであり、「いただいた恵みも失」(4節)うことに他ならなかった。
 私達は「割礼の有無」(6節)ではなく、聖霊によって変えられる(5節)。そして、「キリスト・イエスに結ばれ」ることによって、私達は「義とされた者の希望が実現すること」を「切に待ち望」むことが出来る(5節)。割礼はイエス・キリストにあって最早何の益もない「奴隷の軛」(1節)となった。

(2) 練り粉全体を膨らませる僅かなパン種(7~12節)

 パウロは、異邦人のキリスト者に割礼を強いるユダヤ主義者について、「だれであろうと、裁きを受け」(11節)ると述べている。「わずかなパン種が練り粉全体を膨らませる」(9節)ように、些細なことに見えても、福音の本質から逸脱させる「別の考え」(10節)の侵入を防ぐ必要がある。
 ユダヤ主義者は、キリスト者としてこれまで「よく走って」きたガラテヤの人々の「邪魔をして真理に従わないようにさせ」ようとしていた(7節)。「このような誘い」は主なる神から出たものではない(8節)。
 パウロユダヤ主義者の主張に或る程度妥協して、「今なお割礼を宣べ伝えてい」たなら、ユダヤ人から「迫害を受け」ることもなかったかも知れない(11節)。しかし、それは正しいことではない。
 パウロは割礼を主張する人々に対し「いっそのこと自ら去勢してしまえばよい」(12節)と皮肉っている。私達は福音の真理を歪曲させる人々に対して断固として対処しなければならない。キリスト者は決して引き下がってはならない。