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主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

Jean Calvin Institutio Christianae Religionis (1559) 4. 1. 7

Jean Calvin Institutio Christianae Religionis (1559) 4. 1. 7
【関心・疑問】

【論文名】
第4篇 神が我々をキリストとの交わりに招き入れ、かつそこに留め置かれる外的手段、乃至支えについて

【著者名】
Jean Calvin (渡辺 信夫訳)

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
Institutio Christianae Religionis (1559), 4. 1. 7, in Guilielmus Baum, Eduardus Cunitz, Eduardus Reuss (eds.), Ioannis Calvini Opera Quae Supersunt Omnia; 2, Corpus Reformatorum; 30, Brunsvigae: C.A. Schwetschke, 1864, pp.752-753
(『キリスト教綱要』第4篇, 東京: 新教出版社, 2009年, 改訳版, pp.18-19)

【本文の構成】
第1章 真の教会について。これは全ての敬虔な者の母であるから、我々はこれとの一致を重んじなければならない。
第2章 偽りの教会と真の教会の比較。
第3章 教会の教師と仕え人、その選任と職務について。
第4章 古代教会の状態、ならびに教皇制以前に行なわれていた統治方式について。
第5章 統治の古代的形態は教皇専制によって全く絶滅した。
第6章 ローマ聖座の首位性について。
第7章 ローマ教皇制の発生と、ついに教会の自由を抑圧していっさいの節度を覆す高さにまで至ったその増大ぶりについて。
第8章 信仰の教理に関する教会の権能について、また無節度なしたい放題により教理の純潔がいかに汚されたか。
第9章 公会議とその権威について。
第10章 法制定の権能について。これによって教皇とその一党は魂に対する最も残忍な圧政と拷問を加えた。
第11章 教会の司法権教皇制に見られるその濫用について。
第12章 教会規律について。その主たる行使は生活の監察と陪餐停止である。
第13章 誓いについて。軽率な誓願によって人々は悲惨に包み込まれた。
第14章 聖礼典について。
第15章 洗礼について。
第16章 小児洗礼は、キリストの制定の主旨と徴の本性に最も良く適合する。
第17章 キリストの聖なる晩餐について。それが我々にもたらすものは何か。
第18章 教皇のミサについて。この冒瀆によって、キリストの晩餐は単に汚されたのみでなく、無に帰されたのである。
第19章 偽って聖礼典の名で呼ばれる五つのものについて。これら五つは聖礼典ではないのに、従来通俗的にそう扱われて来たものであるが、聖礼典でないことを明らかにし、かつこれらがいかなるものであるかを示す。
第20章 国家の行政について。

【内容の要約(ページ数)】
 カルヴァンによれば、聖書は「教会について二重の言い方をしている」。
 第一に、「子とされる[アドプティオ]恵みによって神の子とされている者たち、また御霊の聖化によってキリストのまことの肢とされている者」が教会と呼ばれている。そこでは「単に地上に住む聖徒たちのみでなく、世の初め以来の全ての選ばれた民をも含」んでいる。
 第二に、「地球上に拡がって」いる、「一人の神、一人のキリストを礼拝すると表明し、洗礼によって彼を信じる信仰に入り、聖晩餐に陪餐して」いる「人々の全体」も教会と呼ばれている。
 その上で、カルヴァンは、私達が「神の目にのみ認められる教会」を信じると共に、「人の目で見て教会と言われるものを保持してこの交わりを重んじる」よう命じられていると説く。

【引用したい文章(ページ数)】
 しかし、この中には、称号と外見の他何一つキリストに関わるものを持たない多くの偽善者、多くの野心家、貪欲な者、嫉妬の輩が混入しており、彼らは一時的に大目に見られているだけである。その理由は法規による裁判では有罪とすることができないからか、当然あるべき戒規が常に厳格に実施されていないからかである。そういうわけで、不可視の教会32、つまり神の目にのみ認められる教会を信ずることが我々には必要であると共に、人の目で見て教会と言われるものを保持してこの交わりを重んじることが、命じられている。(p.753; 邦訳pp.18-19)

32 不可視の教会と可視的教会の区別をする教会観は、アウグスティヌスのドナティスト論争に始まる。この考え方には新プラトン主義の影響があるため、不可視のものを可視的なものの上位に置く理解に傾き勝ちであるが、カルヴァンは可視的教会に現実に関わることの意義を軽視しない。(邦訳pp.18-19)

【コメント】