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Friedrich August Hayek The Road to Serfdom Two

Friedrich August Hayek The Road to Serfdom Two
【関心・疑問】

【論文名】
第二章 偉大なユートピア

【著者名】
Friedrich August Hayek (西山 千明訳)

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
Bruce Caldwell (ed.), The Road to Serfdom: Text and Documents, The Collected Works of Friedrich August Hayek; v. 2, Chicago: University of Chicago Press, 2007, Definitive ed., pp.76-82
(『隷属への道』ハイエク全集; 第1期別巻, 東京: 春秋社, 2008年, 新装版, pp.23-34)

【本文の構成】
第一章 見捨てられた道
第二章 偉大なユートピア
第三章 個人主義と集産主義
第四章 計画の「不可避性」
第五章 計画化と民主主義
第六章 計画化と「法の支配」
第七章 経済統制と全体主義
第八章 誰が、誰を?
第九章 保障と自由
第十章 なぜ最悪の者が指導者となるのか
第十一章 真実の終わり
第十二章 ナチズムの基礎としての社会主義
第十三章 われわれの中の全体主義
第十四章 物質的条件と道徳的理想
第十五章 国際秩序の今後の展望

【内容の要約(ページ数)】

【引用したい文章(ページ数)】
 このような社会主義の主張がもっともらしく聞こえるようにするために、「自由」という言葉の意味を社会主義者たちがきわめて巧みに変更させてしまった事実は、重要きわまりない問題であって、われわれはこの点を精査しなければならない。かつて政治的自由を主張した偉大な先人たちにとっては、自由という言葉は圧政からの自由、つまり他者のどんな恣意的な圧力からもあらゆる個人が自由でなければならないことを意味していたのであり、従属を強いられている権力者たちの命令に従うことしか許されない束縛から、すべての個人を解き放つことを意味していた。ところが、社会主義が主張するようになった「新しい自由」は、(客観的)必然性という言葉で表現されるような、とても逃れえないと思われてきたすべての障害から人々を自由にし、すべての人間の選択の範囲――もちろんその範囲は人によってはきわめて広く、人によっては狭い――をどんな例外もなく制限してきた環境的な諸条件による制約からも、人々を解放することを約束するものであった。つまり、人々が真に自由になるためには、それに先だって、「物的欠乏という圧制」が転覆されなければならず、「経済システムがもたらす制約」が大幅に撤去されなければならない、とこの「新しい自由」は主張した。(p.77; 邦訳pp.26-27)

「より多くの自由を」という約束が、社会主義者たちの宣伝活動にとって最も有力な武器の一つとなったことは疑いないし、しかも「社会主義こそが自由をもたらす」という彼らの信念が、本人たちとしては偽りのない真剣なものであったことも、また疑いはない。だが、そうであればあるほど、彼らが「自由への道」だと約束したことが、実は「隷属への大いなる道」でしかなかったと実証された時の悲劇は、より深刻なものとなるのを避けられない。他方、自由主義者たちが次から次へと社会主義の道へおびきよせられていったのは、そして彼らが社会主義自由主義の基本原理の間に厳然と存在している相克に気づかなくなっていったのは、疑いもなく、この「より多くの自由を」という約束のせいである。さらにその約束のおかげで、社会主義者たちは、かつての自由主義党が使用していたその名前まで横取りすることが、しばしば可能になった。こうして、社会主義は、自由の伝統の疑いもない後継者であるとして、知識階級の大半に受け入れられていくこととなった。その結果、それらの知識人が、社会主義が実は自由とはまったく逆の方向へと人々を導いていくのだという考えを、もはやまったく信じられなくなったとしても、別に驚くべきことではない。(p.78; 邦訳pp.27-28)

 イーストマン氏の場合は、たぶんきわめて顕著な例であるが、ロシアの実験に対するシンパ的観察者でありながら同様な結論を出さなければならなくなった例は、より以前にも以後にも少なからずある。例えば彼より数年以前に、W・H・チェンバリン氏は、米国の通信社特派員として十二年間ロシアに滞在し、彼の理想がすべてこなごなに壊されてしまったという体験を経て、ロシアやドイツやイタリアに関して自分が行なった研究の結論を、次のようにまとめている。「社会主義は、少なくともその初期においては、自由への道ではまったくなく、独裁体制の推進を図る側と反独裁に徹しようとする側の間における最も激しい市民戦争への道であることは、もはや明らかである。民主主義的手段によって実現され維持される社会主義などということは、ただのユートピアの世界の話にしか過ぎないということは、もはや決定的なことに思える」(4)。同様に、英国の文筆家F・A・フォークト氏は、やはり特派員として永年にわたって欧州における発展を身近に観察した後、こう結論している。「マルクシズムは結局のところファシズム国家社会主義とへ帰着してしまった。というのも、あらゆる本質面において、マルクシズムとはファシズム国家社会主義に他ならないからだ」(5)と。(p.79; 邦訳pp.29-30)

 これらの証言にもましてもっと意味深いのは、ナチスファシストの指導者たちの多くがたどってきた思想的経歴である。イタリア(8)あるいはドイツにおける全体主義運動の勃興を観察してきた人は誰も、ムッソリーニを始めとする指導的人物(ラヴァルやキスリングまで含めて)の多くが、最初は社会主義者として出発し最後はファシストナチスになったということに、衝撃を抱かざるを得なかった。そしてこのような指導者たちに真実であることは、これらの運動を支えた一般的な活動家たちにもまた真実である。若い共産主義者たちをナチスに転向させること、あるいはその逆の方向へと転向させることは、他に比べてはるかに容易であることは、ドイツでは広く知られていたし、共産党ナチス党との両党の情宣活動者はこのことを熟知していた。ちなみに、三〇年代の英国の大学教授の多くは、欧州本土から帰国した英米の学生が、共産主義者になったのかナチスになったのかは定かではないにしても、とにかく西欧の自由文明を憎悪するようになってしまったことはまちがいないと、感じたものであった。(pp.80-81; 邦訳pp.31-32)

ヒットラー主義は、自分こそ真の民主主義であり、真の社会主義であると宣言している。だが、恐るべき真実は、この主張にはほんの少しだが、真実が含まれているという点だ。もちろん、それは毛の先ほどの真実でしかないのは確かだが、巧妙な歪曲をしていくにはそれだけで十分なのだ。ヒットラー主義はさらに、キリスト教の保護者の役割を果たすとまで主張している。そして恐るべきことに、このような極端な歪曲でさえもが、人々になんらかの感銘を与えるのに成功している。しかし、これらの混乱と混迷の中にあっても、ある一つの事実だけははっきりとしている。それはヒットラーが、かつての真の自由主義を自分が代表していると、主張したことは一度もないという事実である。つまり、自由主義は、ヒットラーが最も憎んだ教義であるという点において、きわめて際立った特異性を持っていることになる。(9)》(p.81; 邦訳p.33)

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