Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

Chesterton, Heretics, pp.77-78 (別宮訳『異端者の群れ』pp.62-63)

G. K. Chesterton, Heretics ; Orthodoxy ; The Blatchford Controversies, The Collected Works of G.K. Chesterton;1, San Francisco: Ignatius Press, 1986, pp.77-78

(別宮 貞徳訳『異端者の群れ』東京: 春秋社, G. K. チェスタトン著作集; 5, 東京: 春秋社, 1975年, pp.62-63)

「しかしウェルズ氏は、せまい科学的世界観を十分にぬぐい切れなくて、実際には科学的であってはならないものがあることを、おわかりになっていない。科学のあの大きな誤謬にまだ多少毒されているらしい。つまり、人間がまず最初に学ぶ霊魂から出発しないで、だいたい最後に学ぶべき原形質といったようなものから出発する習性を持っている。知能に秀でた彼の唯一の欠点は、人間を作りあげている要素あるいは素材に十分な考慮を払っていないことである。たとえばその新しきユートピアで彼は言う、ユートピアの眼目は原罪を信じないことだ、と。人間の霊魂を出発点としていれば――つまり、自分自身から出発していれば――原罪こそ第一に信ずべきものであることがわかっただろう。簡単に言えば、いつでも人間に利己主義が起こりうるのは自己というものを持っているからで、教育とか虐待とか、そんな偶発的なものに起因するのではないことがわかったはずだ。そして、すべてユートピアの弱点は、人間のいちばん厄介な問題を克服できるものとまず決めておいて、次にもっと小さな問題をどう克服するか、ご念の入った説明をしているところにある。まず人間は自分の分け前以上を要求しないことを前提にしておいて、さて、その分け前を自動車で運ぶか気球で運ぶか、まことに才気あふれる説明をしておいでになる。ウェルズ氏が人間心理に無頓着なことを示すさらにはっきりした実例は、彼のコスモポリタニズム、つまり、ユートピアではあらゆる国家的な障壁が取り払われるという主張に認められる。彼は一流の天真爛漫な調子で言っている。ユートピアは世界国家でなければならぬ、さもなければ人びとはユートピアに戦争をしかけるであろう、と。ユートピアが世界国家であるとしても、なおかつわれわれの大部分は世の終りまでユートピアに戦争をしかけるだろうとは、つゆ思い至らなかったらしい。なぜと言って、芸術や意見に当然違いがあることを認めるなら、政府に違いがないと考えられるわけがないではないか。ことは単純そのものである。何事につけことさらに良さをおさえようとするなら話は別、さもなければ何としてもそれは争うに足るものにならざるをえない。さまざまな文明の間にありうべき争いをありうべからざるものにはできない。さまざまな理想のあいだにありうべき争いをありうべからざるものにはできないからである。今日の国家間の闘争がなくなっても、ユートピア間の闘争が残るだけのこと。最高の事物は統一にのみ向かうとはかぎらず、分裂にも向かう。統一を求めて人びとを戦いにおもむかせることはしばしばできる。しかし、分裂を求める戦いにおもむくのを妨げることは絶対にできない。最高の事物にこのように相違があるということ、激しい愛国心、あるいは偉大なヨーロッパ文明の激しい国家主義があるわけはそこにある。ついでながら、三位一体の教義の意味もそこにある」