Five Solas

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Friedrich August Hayek The Road to Serfdom Three

Friedrich August Hayek The Road to Serfdom Three
【関心・疑問】

【論文名】
第三章 個人主義と集産主義

【著者名】
Friedrich August Hayek (西山 千明訳)

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
Bruce Caldwell (ed.), The Road to Serfdom: Text and Documents, The Collected Works of Friedrich August Hayek; v. 2, Chicago: University of Chicago Press, 2007, Definitive ed., pp.83-90
(『隷属への道』東京: 春秋社, 1992年, pp.35-49)

【本文の構成】
第一章 見捨てられた道
第二章 偉大なユートピア
第三章 個人主義と集産主義
 社会主義をめぐる混乱
 自由主義的計画対中央集権的計画
 自由放任主義の誤りと自由主義政府の使命
 真の自由主義に「中庸の道」はない
第四章 計画の「不可避性」
第五章 計画化と民主主義
第六章 計画化と「法の支配」
第七章 経済統制と全体主義
第八章 誰が、誰を?
第九章 保障と自由
第十章 なぜ最悪の者が指導者となるのか
第十一章 真実の終わり
第十二章 ナチズムの基礎としての社会主義
第十三章 われわれの中の全体主義
第十四章 物質的条件と道徳的理想
第十五章 国際秩序の今後の展望

【内容の要約(ページ数)】

【引用したい文章(ページ数)】
自由放任主義の誤りと自由主義政府の使命

 ここで重要なことは、今述べたような計画主義者の言う「計画」への反対と、凝り固まった「自由放任」の主張とを、混同してはならないということである。自由主義者の主張は、諸個人の活動を調和的に働かせる手段として、競争というものが持つ諸力を最大限に活用すべきだということであって、既存のものをただそのままに放っておけばいい、ということではない。自由主義の主張は、どんな分野であれ、有効な競争が作り出されることが可能であるなら、それはどんなやり方にもまして、諸個人の活動をうまく発展させていくのだという、確信に基づいている。この競争が有利に働くためには、十分に考え抜かれた法的な枠組みを必要とすること、そしてこの点に鑑みれば、現在の、あるいは過去の法的ルールは、重大な欠陥を持っているということを、自由主義者は否定しないし、それどころかむしろ進んでそう主張するものである。また、有効な競争が働くための条件を作ることが不可能な分野では、経済活動を導くために、競争以外のなんらかの方法に依存しなければならないということも、まったく否定していない。だが、経済的自由主義は、諸個人の活動を調和させる手段として、競争に代えてより劣った方法が採られることには、断固として反対する。競争以外の方法がなぜ劣っていると言えるのか。それは単に、競争はほとんどの状況で、われわれが知っている最も効率的な方法であるというだけではない。より重要なのは、競争こそ、政治権力の恣意的な介入や強制なしに諸個人の活動の相互調整が可能になる唯一の方法だからである。まったくのところ、競争擁護論の主要点は、競争こそ、意図的な社会統制を必要としない、ということであり、また競争こそが諸個人に職業選択の機会を与えるということ、つまり、特定の職業の将来性が、それを選ぶことによって起こる不利益や危険を補ってあまりあるかどうか決断できる機会を与える、ということである。(pp.85-86; 邦訳pp.41-42)

 経済活動に対する統制を完全に中央集権化してしまうという考えは、今でも多くの人々をぞっとさせる。単にそれが途方もなく困難だからということではなく、ただ一つの中央機関によってすべてのことが統制されるという考えそのものが、強い恐怖を抱かせるのである。しかしなお、われわれがそれへ向かって急速に歩んでいるのは、実はいまだに大半の人々が、「原子論的」な競争体制と中央集権的統制の間に「中庸の道」があると信じていることが大きな原因となっているのである。確かに、分別ある人々にとって、われわれの目ざしているところは、自由競争による極端な分権化でも、単一計画による完全な中央集権化でもなく、それらをうまくミックスさせたやり方でなければならないという考えほど、一見もっともらしく、魅力的な考え方はない。だが、少し常識を働かせれば、それが誤りだということは明らかになるはずだ。競争はある程度の規制とは混合して存在しうるけれども、それを計画と好きなだけ結びつけた時でも、変わらず生産への有効なガイドとして働くなどということはありえない。また、計画は、薬と同様、わずかの服用でもそれなりの効き目があるというものでもない。競争も中央統制も、中途半端に用いた時には、無意味で効き目のない道具なのである。一つの問題を解決しようとすれば、どちらかを選ばざるをえない性質の原理であり、まぜこぜに使うと、どちらも機能しなくなり、ずっと一方だけに頼った場合よりも悪い結果しか生まれない。言い方を換えれば、計画と競争は、「競争に対立する計画」ではなく、「競争のための計画」という形でしか、結びつかないのだ。(pp.89-90; 邦訳pp.48-49)

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