Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

Friedrich August Hayek The Road to Serfdom Six

Friedrich August Hayek The Road to Serfdom Six
【関心・疑問】

【論文名】
第六章 計画化と「法の支配」

【著者名】
Friedrich August Hayek (西山 千明訳)

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
Bruce Caldwell (ed.), The Road to Serfdom: Text and Documents, The Collected Works of Friedrich August Hayek; v. 2, Chicago: University of Chicago Press, 2007, Definitive ed., pp.112-123
(『隷属への道』東京: 春秋社, 1992年, pp.91-110)

【本文の構成】
第一章 見捨てられた道
第二章 偉大なユートピア
第三章 個人主義と集産主義
第四章 計画の「不可避性」
第五章 計画化と民主主義
第六章 計画化と「法の支配」
 「人による支配」から「法による支配」へ
 抽象的ルールこそ法である
 自由裁量による法の破壊
 「結果の平等」は自由を破壊する
 権力の制限こそ「法の支配」の眼目である
 社会主義は「法の支配」と相入れない
第七章 経済統制と全体主義
第八章 誰が、誰を?
第九章 保障と自由
第十章 なぜ最悪の者が指導者となるのか
第十一章 真実の終わり
第十二章 ナチズムの基礎としての社会主義
第十三章 われわれの中の全体主義
第十四章 物質的条件と道徳的理想
第十五章 国際秩序の今後の展望

【内容の要約(ページ数)】

【引用したい文章(ページ数)】
「人による支配」から「法による支配」へ

 自由な国家と恣意的な政府の支配下にある国家とを最もはっきりと区別するものは、自由な国家では、「法の支配」(Rule of Law)として知られているあの偉大な原則が守られているということである。専門的な表現を一切省いてしまえば、この「法の支配」とは、政府が行なうすべての活動は、明確に決定され前もって公表されているルールに規制される、ということを意味する(1)。つまり、しかじかの状況において政府当局がどのような形で強制権力を発動するか、ということがはっきりと予測でき、個人はそれをもとにそれぞれの活動を計画できるようなルールが存在しているということである。もちろん、立法者も法の運用者も、誤りやすい生身の人間である以上、この理想が完璧に実現されることはまず無理だとしても、本質的なことは、強制権力を行使する行政組織に許される自由裁量権は、できるだけ最小限に抑えられなければならない、ということである。(p.112; 邦訳p.92)

「結果の平等」は自由を破壊する

 上記のことから必然的に導き出される結論とは、表面的には逆説的に見えるのだが、「法の前における形式的平等」は、人々の物質的・実質的平等をめざすどんな意図的政策とも衝突し、両立不可能になるということであり、また、「分配の平等」というあの強固な理想をめざしたどんな政策も、「法の支配」の崩壊をもたらすということである。すなわち、異なった人々に客観的に平等な結果を与えるためには、人々に異なった扱いをしなければならない。また、異なった人々に客観的に平等な機会を与えることは、主観的に見て平等な機会が与えられるということではない。だから、「法の支配」が経済的不平等を作り出すということは、否定することはできない。ただそういう不平等は、特定の人を特定の方法でそうしようと意図したわけではない、ということだけは言える。こうしてみると、社会主義者(そしてナチス)が、形式的「にすぎない」正義に常に抗議し、特定の人々がどの程度裕福であるべきかについての見解を含まないような法律に常に反対し(2)、「法の社会化」を常に要求し、裁判官の独立を攻撃する一方、「法の支配」を突き崩す「自由法学派」のような運動すべてを支持してきた、ということはきわめて意味深いことであり、また象徴的なことである。(p.117; 邦訳p.101)

 したがって、計画化社会では「法の支配」は維持されえないということは、政府活動は合法的でなくなるとか、その社会は必ず無法社会となる、ということを言っているのではない。それが意味しているのは、政府による強制権力の使用が、もはやどんな制限も受けないようになり、前もって制定されたどんなルールにも縛られなくなる、ということである。もし法律が、ある委員会ないし当局に好きなことをしてもいいと決めたとしたら、それが行なうどんなことも合法的となる。しかし、その活動が「法の支配」に従っていないことは確かなことだ。つまり、政府に無制限の権力を与えることは、どんな恣意的なルールも合法的だとされうる、ということである。このようなやり方をしていけば、民主主義は、想像しうる最も完全な専制政治を作り上げることさえできるのである。(p.119; 邦訳p.105)

【コメント】