Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編119編129~144節

聖書研究 詩編119編129~144節(新共同訳 旧約pp.965-966)

(1) 私達に理解を与える御言葉(129~136節)

 主なる神の言葉を読んだり聞いたりする時、「無知な者」である私達は「理解を与え」(130節)られる。
 詩人は「御言葉を開」(130節)くことによって、主なる神が私達に求めておられることを発見した。このような経験によって、彼は主なる神の「戒めを慕い求め」(131節)るようになった。
 また、御言葉を通して、詩人は、主なる神が「御名を愛する者」を「憐れんでくださ」ること(132節)、「悪」がその人を「支配し」ないよう、「足どりを確かなものにしてくださ」ること(133節)、「虐げる者から」その人を「解き放ってくださ」(134節)ることを悟った。
 その上で、詩人は、主なる神が「御顔を」自分に「向け」(132節)、これらの恵みを与えて下さるよう願い求めた。そして、そのような恵みを与えて下さるなら、「わたしはあなたの命令を守ります」(134節)と表明した。
 詩人が「御顔の光をあなたの僕の上に輝かせてください。あなたの掟を教えてください」(135節)と願ったように、私達も、主なる神の恵みに感謝しつつ、御言葉を慕い求め、御言葉を通して示された主なる神の御心を行おう。

(2) まことに正しく確かな御言葉(137~144節)

 主なる神は「正し」(137節)い方なので、主なる神の「定め」も「まことに正しく確かな」ものである(138節)。それは過去も現在も未来も「とこしえに正しい」(144節)。
 そのことを知っている詩人は、今自分に「ふりかかってい」る「苦難と苦悩」を主なる神が公正に裁いて下さることを切に待ち望んだ(143節)。詩人の「敵」は、主なる神の「御言葉を忘れ去った」ために(139節)、時が来たら相応の裁きを受けることだろう。一方、詩人は敵から「侮られ」る時も、主なる神の「仰せ」を「愛し」(140節)、主なる神の「命令を決して忘れ」ず(141節)、主なる神の「戒め」を「楽しみ」とした(143節)。主なる神の言葉をいつも覚えていたので、彼は主なる神の「恵みの御業」(142節)に期待することが出来た。
 詩人は、主なる神の「定め」に示された義を自分に「理解させ、命を得させてくださ」るよう(144節)、主なる神に願い求めた。私達も、主なる神の言葉を愛し、その御心を求め、生活の中で主なる神の御栄光を表していこう。