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Hannah Arendt The Origins of Totalitarianism Chapter Nine

Hannah Arendt The Origins of Totalitarianism Chapter Nine
【関心・疑問】

【論文名】
第九章 国民国家の没落と人権の終焉

【著者名】
Hannah Arendt (大久保 和郎, 大島 通義, 大島 かおり訳)

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
The Origins of Totalitarianism, Meridian Books; MG15, New York: Meridian Books, 1958, Meridian Books ed., pp.267-302
(『全体主義の起原』2 帝国主義, 東京: みすず書房, 2017年, 新版, pp.267-328)

【本文の構成】
1 少数民族と無国籍の人々
2 人権のアポリア

【内容の要約(ページ数)】

【引用したい文章(ページ数)】
 われわれの最近の経験とそこから生まれた省察とは、かつてエドマンド・バークフランス革命による人権宣言に反対して述べた有名な論議の正しさを、皮肉にも遅ればせながら認めているように思われる。われわれの経験は、人権が無意味な「抽象」以外の何ものでもないことをいわば実験的に証明したように見える。そして権利とは、生命自体と同じく代々子孫に伝える「継承された遺産」であること、権利とは具体的には「イギリス人の権利」、あるいはドイツ人の、あるいはその他いかなる国であろうと、ある国民(ネイション)の権利でしか決してあり得ないがゆえに、自己の権利を奪うべからざる人権として宣言するのは政治的には無意味であることも証明されてしまった。自然法も神の戒律ももはや法の源泉たり得ないとすれば、残る唯一の源泉は事実、ネイションしかないと思われる。すなわち権利は「ネイションから」生まれるのであって他のどこからでもなく(41)、ロベスピエールの言う「地球の主権者たる人類」(42)からでは決してない。バークの論議の実際上の正しさについては疑問の余地がない。国民としての権利の喪失は、十八世紀以来人権として数えられてきた諸権利を失うという結果をあらゆる場合にもたらしてきた。そしてこれらの権利の回復は、ユダヤ人とイスラエル国の例が示すように、これまでは一国の国民としての権利の確立による以外には不可能だった。人権の概念はバークが予言した通りに、人間が国家によって保証された権利を失い現実に人権にしか頼れなくなったその瞬間に崩れてしまった。他のすべての社会的および政治的資格を失ってしまったとき、単に人間であるということからは何らの権利も生じなかった。人間であるという抽象的な赤裸な存在に対して世界は何ら畏敬の念を示さなかった。しかし世界の反応はさておき、人権の基礎をなすといわれる理念(すでに見てきた通り現代世界においてはどっちみち普遍的な政治的効力を持たなくなった理念ではあるが)だけを考えてみたとしても――アメリカの独立宣言におけるように神の似姿として創られた人間という理念、あるいはフランスの宣言におけるように、一人一人の人間において人類(メンシュハイト)が代表されているとする考え――、果たしてこれらの理念が問題の実際に有効な解決に役立ち得るかは甚(はなは)だ疑わしい。(pp.299-300; 邦訳pp.321-323)

 無国籍者、絶滅収容所の生き残り、強制収容所や抑留収容所にいた人々、これらの人々はみな〈人間以外の何ものでもない〉という抽象的な赤裸な事実が彼らの最大の危険であることを悟るのに、バークの論証を俟(ま)つまでもなかった。彼らはその事実によって、政治理論が「自然状態」と名づけ文明世界が野蛮状態と呼ぶものに逆戻りしてしまったのである。彼らが自分たちのナショナリティにファナティックに固執するのは、この野蛮状態に対する本能的な反応であり、各ネイションに組織された文明的人類に彼らも属していたことの必死の証明だった。彼らにとって人権があれほど疑わしく思われたのは、それが未開の野蛮民族ですら同じように持つはずの権利であるからにほかならない。この点をすでにバークは指摘して、生まれながらに人間に具わった権利など「裸の未開人」の権利とでも考えるほかには想像もつかない、そのような権利より自分はいずれにせよ「イギリス人の権利」のほうを選ぶ、と言ったのである(43)。バークはさらに、文明諸国が人権を憲法の基礎とするようになったら、諸国はまさにそのことにより「自然状態」たる野蛮へと引き戻されることになるだろう、という危惧を述べている。論証と理論に培(つちか)われたこの危惧は、自分たちのナショナリティにしがみつく無権利者たちの絶望的不安と相応じている。彼らは、ナショナリティはもはや彼らに権利も保護も与えてはくれないにしても、それだけが、人間であるという最低限の事実しか示すもののない未開人から彼らを区別する唯一のものであることを知っていた。かつてはある国の国民だったという彼らの過去と、彼らから奪われた「継承遺産」のみが、彼らがまだ文明世界に属することを保証してくれると思えたのである。(p.300; 邦訳pp.323-324)

【コメント】