Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 使徒言行録15章1~11節

聖書研究 使徒言行録15章1~11節(新共同訳 新約pp.242-243)

(1) 異邦人が救われるために割礼を要求する人々(1~5節)

 何人かのユダヤ主義者が「ユダヤから」アンティオキアに「下って来て」、イエス・キリストを信じた異邦人に「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えた(1節)。
 それに対し、パウロバルナバ達は「この件について使徒や長老たちと協議するために」「エルサレムに上」った(2節)。「エルサレムに到着すると」、彼らは「教会の人々、使徒たち、長老たち」に、異邦人が主なる神に立ち返ったことを「報告した」。「異邦人が改宗したこと」(3節)は、主なる神がパウロ達と「共にいて行われたこと」であった(4節)。
 にもかかわらず、「数名」の「ファリサイ派から信者になった人」は、それだけでは不十分であると考え、「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と要求した(5節)。
 イエス・キリストを信じることに加え、割礼を受けなければ救われないという要求は、人間の行為を救いの条件とすることであり、イエス・キリストの御業は人間の救いのために不十分であると主張することに他ならなかった。
 信仰以外の何かがなければ救われないとしたら、救いは不確かなものになってしまう。罪があり、欠けの多い人間が完全であることなど有り得ないからである。キリスト者は、そのような誤った教えをよく見分け、それが広がらないように注意しなければならない。

(2) 主イエスの恵みによって救われる(6~11節)

 ユダヤ主義者の問題提起に対し、「使徒たちと長老たち」は「議論を重ねた」(6~7節)。そこでは「激しい意見の対立と論争」(2節)があったに違いない。
 そのような中、「ペトロが立」ち上がって、発言した。ペトロは十二使徒の代表であり、エルサレムの教会を実質的に導いていた。
 ペトロは、コルネリウスの家を訪問した一連の出来事を通して、主なる神が彼を「お選びにな」ったのは、「異邦人が」彼の「口から福音の言葉を聞いて信じるようになるため」であったと語る(7節)。また、主なる神はユダヤ人だけでなく「異邦人にも聖霊を与え」ることによって「彼らをも受け入れられたことを証明なさった」(8節)とペトロは言う。主なる神は救いに関してユダヤ人と異邦人の「間に何の差別もなさ」(9節)らない。
 その上で、ペトロは、異邦人に対する主なる神の御心が明らかにされたのに、「なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか」(10節)とユダヤ主義者に問いかける。
 結論として、ペトロは「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです」(11節)と宣言する。ペトロは、ユダヤ人として生まれ、ユダヤ教の伝統の中で育った。しかし、彼は律法を全て守ることが出来ず、イエス・キリストの恵みによって救いを得た。ユダヤ人も異邦人もイエス・キリストの恵みによってのみ救われる。
 全ての人間は罪人であり、主なる神の怒りと罰を受けるべき存在である。主なる神に従って歩もうとしている時でさえ、すぐに高慢になり、堕落し、罪を犯してしまう。信仰は、自分が救われるに相応しくない者であることを主なる神の御前で認め、イエス・キリストの恵みによってのみ義とされると信じることである。この信仰によって私達は誰でも救いを受けることが出来る。