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主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

Jean Calvin Institutio Christianae Religionis (1559) 3. 24. 4

Jean Calvin Institutio Christianae Religionis (1559) 3. 24. 4
【関心・疑問】

【論文名】
第3篇 キリストの恵みを捉える方式、そこから我々に生じる実り、それに伴う効果について

【著者名】
Jean Calvin (渡辺 信夫訳)

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
Institutio Christianae Religionis (1559), 3. 24. 4, in Guilielmus Baum, Eduardus Cunitz, Eduardus Reuss (eds.), Ioannis Calvini Opera Quae Supersunt Omnia; 2, Corpus Reformatorum; 30, Brunsvigae: C.A. Schwetschke, 1864, pp.714-715
(『キリスト教綱要』第3篇, 東京: 新教出版社, 2008年, 改訳版, pp.481-483)

【本文の構成】
第1章 キリストについて以上に述べられたことは、御霊の隠れた働きによって我々に伝達される。
第2章 信仰について。ここではその定義が為され、その固有性が何であるかが説明される。
第3章 我々は信仰によって新しく生まれる。悔い改めについて。
第4章 詭弁家たちが悔い改めについてその学校で饒舌を弄しているあらゆることは、福音の純潔から全く離れていること。ここでは告白と償罪について論じる。
第5章 彼らが償罪に付加する補遺、すなわち免償と浄罪火について。
第6章 キリスト者の生活について。第一に、これに向けて我々を励ますために聖書はどう論じるか。
第7章 キリスト教的生活の要約。ここでは自己否定について論じる。
第8章 自己否定の一部である十字架を負うことについて。
第9章 来たるべき生への瞑想について。
第10章 現世の生とその手段をどのように用いるべきか。
第11章 信仰の義認について、第一にその名称と事柄の定義。
第12章 価なしの義認を厳かに確信するためには、心を神の法廷にまで高めるべきである。
第13章 価なしの義認について、二つの点が重んじられねばならない。
第14章 義認の初めと継続した発展はいかに為されるか。
第15章 行ないの功績について誇らしげに語られているが、これは義を賜わる誉れを神から奪うと共に、救いの確かさを覆す。
第16章 教皇主義者がこの教理を憎むべきものにしようと試みる中傷への反駁。
第17章 律法の約束と福音の約束との一致。
第18章 報いをもとにして行ないの義を結論するのは不当である。
第19章 キリスト教的自由について。
第20章 祈りは信仰の修練の主要なものであって、我々はこれによって神の恵みを日ごとに受け取るということについて。
第21章 神が、ある者を救いに、ある者を滅びに予定したもうた永遠の選びについて。
第22章 聖書の証言によるこの教理の確認。
第23章 この教理に常に不正に加えられる中傷への反駁。
第24章 選びは神の召しによって確認されるが、遺棄された者は定められた正当な滅びを自らに引き寄せる。
第25章 終わりの復活について。

【内容の要約(ページ数)】
 カルヴァンによれば、サタンは「我々の選びの確かさ」を動揺させようとして、「己れの選びについての疑惑によって不安に駆り立て」る。そして、信仰者を「道ならぬ探求」へと導こうとする。即ち、「神の知恵の秘められた深み」に入って行かせようとする。
 それに対し、カルヴァンは、神の言葉の外で「神の法廷において自分にどういう決定が為されたか」を問うことは、「己れを底知れぬ深淵に真っ逆様に陥らせ」ると警告する。そして、「我々にとっての探求の道は、神の召しから出発し神の召しに帰着するものでなければならない」と説く。

【引用したい文章(ページ数)】
 道ならぬ探求と言うのは、神の知恵の秘められた深みにちっぽけな人間が立ち入ろうとし、神の法廷において自分にどういう決定が為されたかを知るために至高の永遠性に立ち入ろうとすることである。人はその時、己れを底知れぬ深淵に真っ逆様に陥らせ、無数の抜け出すことのできない罠に嵌まり込み、こうして無明(むみょう)の暗闇の淵に沈み入る。人間精神の愚鈍が自力で神の知恵の高みに登ろうと企てる時、このように恐るべき破滅によって罰せられるのは当然である。(p.714; 邦訳p.482)

 しかし、予定についての議論は、海の難所のようなものではあるけれども、進んで危険を冒すのでない限り安全で平安、更に言えば愉快な航海のように経験されることも確かである。己が選びを確かめようとして神の永遠の計画を御言葉によらずに探求する者は破滅の深淵に呑み込まれるが、反対に、御言葉の内に含まれている通りに正しくかつ秩序に適ってこれを探求する者はそこから格別の慰めの実りを得る。そういうわけで、我々にとっての探求の道は、神の召しから出発し神の召しに帰着するものでなければならない。(p.715; 邦訳p.482)

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