Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

Jean Calvin Commentarius in Epistolam Pauli ad Colossenses 2

Jean Calvin Commentarius in Epistolam Pauli ad Colossenses 2
【関心・疑問】

【論文名】
Commentarius in Epistolam Pauli ad Colossenses

【著者名】
Jean Calvin (蛭沼 寿雄, 波木 居斉二訳)

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
Guilielmus Baum, Eduardus Cunitz, Eduardus Reuss (eds.), Ioannis Calvini Opera Quae Supersunt Omnia; 52, Corpus Reformatorum; 80, Brunsvigae: C.A. Schwetschke, 1895
(『ピリピ・コロサイ・テサロニケ書』カルヴァン新約聖書註解; 11, 東京: 新教出版社, 1970年)

【本文の構成】

【内容の要約(ページ数)】

【引用したい文章(ページ数)】
第2章

16 それ故に、誰にもあなたがたを裁かせてはならない

 パウロは、前に割礼について言ったことを、ここで食物や日の相違にも適用する。というのは、割礼は律法遵守への最初の導入であり、他の儀礼166は後続するからである。裁くはここでは、罪があるとすること、あるいは、われわれはもはや自由でないというような良心の疑懼を懐かせることを意味する。それ故に、彼は言う、われわれをして強いて儀礼の遵守に従わせるのは人間の力ではないと。キリストはその死によって儀礼を廃棄した。そして、彼らが設けた律法にわれわれが縛りつけられたままでいなくてもよいように、彼らのくびきからわれわれを免れさせる167。(pp.109-110; 邦訳p.133)

166 ラテン文: 「他のもの」
167 ラテン文に「しかし、パウロは沈黙の中にキリストを全人類と対照させ、何人もおこがましくも自誇して、キリストから与えられたものを除外しようとしないようにしている」あり。(邦訳p.133)

17 これらは来たるべきものの影である

 キリストがキリスト教徒を日の遵守から解放する理由は、キリストがある意味で不在であった時にはそれらは単に影にすぎなかったからである。というのは、パウロは影を啓示と、不在を顕現と対立させている。それ故に、まだ影に従っている者は、眼の前に本人自身がいるのに、人の外見を影によって判断する者の如くである。というのは、キリストは今やわれわれに現われ、われわれは彼を現在するものとして享けるからである。しかしその本体はキリストのである、すなわち、キリストにある、とパウロは言う。というのは、昔儀礼が表わしていたことの本体は、儀礼が将来のこととして示したすべてのことをそれ自身の中に含んでいるキリストにおいて今眼前に現われているからである。従って、儀礼を取り戻して行なわんとする者は、キリストの顕現を埋葬しているか、キリストからその力をはく奪しているかであり、いわばキリストを無用に全く171空しくしているのである。(p.110; 邦訳pp.133-134)

171 ラテン文に「無用に全く」なし。(邦訳p.134)

【コメント】