Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 民数記11章24~30節

聖書研究 民数記11章24~30節(新共同訳 旧約p.232)

【概要】

【歴史的背景】

【釈義】

【黙想】
預言状態になる長老達

 主なる神は、モーセに注がれた「霊の一部を取って」、70人の長老達に注がれた(25節)。主なる神の霊が臨んだ長老達は暫く預言状態になった(25節)。このことを通して主なる神は長老達に権威と力をお与えになった。
 キリスト者と非キリスト者の違いは、前者は聖霊に従うけれども、後者はそうではないという点である。私達の知識と経験だけでは主なる神の御心を全て知ることは出来ない。主なる神が臨在され、私達の人生に愛をもって介入して下さることが、キリスト者にとって、特にキリスト者の指導者にとって欠かせないことである。
 一方、エルダドとメダドは、「長老の中に加えられて」いながら、他の長老達と一緒に幕屋に出て行かず、自分達の宿営で預言状態になった(26節)。「若いころからモーセの従者であったヌンの子ヨシュア」(28節)は、そのことをモーセの権威に対する挑戦と受けとめた。そのため「モーセのもとに走って行き」(27節)、「わが主モーセよ、やめさせてください」(28節)と進言した。しかし、モーセは、「あなたはわたしのためを思ってねたむ心を起こしているのか」と逆にヨシュアを注意し、「わたしは、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ」と言った(29節)。ヨシュアは人間的な判断で主なる神の働きを制限しようとした。それに対し、モーセは自分の地位を守ることよりも、イスラエルの民全体が霊的に成熟することを重視した。
 主なる神は、特別な使命を担った指導者だけでなく、ご自分の全ての民に聖霊を授け、賜物を与えたいと願っておられる。主なる神はイエス・キリストを通して私達にも聖霊の賜物を与えて下さる。それは神の民としての権威であり、主なる神と隣人に仕えるための力である。主なる神はキリスト者がその賜物を通して神の国を建てることを願われる。

【適用】
 他の人の賜物や働きを妬んだことはないか。

【祈り】