Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 民数記11章31~35節

聖書研究 民数記11章31~35節(新共同訳 旧約p.232)

【概要】

【歴史的背景】

【釈義】

【黙想】
うずら

 主なる神は、風を起こし、「海の方からうずらを吹き寄せ」、うずらの群れを「宿営の近くに落と」された(31節)。このことを通して、イスラエルの民の要求を満たすと共に、人間の理性を超えて働かれるご自分の力を示された(23節)。風に乗って飛んで来たうずらの群れは、「地上二アンマほどの高さに積もった」(31節)。イスラエルの「民は出て行って、終日終夜、そして翌日も、うずらを集め、少ない者でも十ホメルは集めた」(32節)。主なる神はイスラエルの民が欲しがっていた肉を確かにお与えになった。しかも、それは2日かけないと集めきれないほどの量であった。
 しかし、イスラエルの民が集めた肉を食べていた時、主なる神は「激しい疫病」によって彼らを打たれた(33節)。彼らが2日かけて必死で集めたうずらも、結局全て食されることなく、空しいものになってしまった。イスラエルの民はこの場所を「キブロト・ハタアワ(貪欲の墓)」と呼んだ(34節)。そこで「貪欲な人々」が死に、葬られたからである。主なる神は、この出来事を通して、貪欲は罪であり、罪は死を生むことをイスラエルの民に教えられた。
 イエス・キリストは、「愚かな金持ち」のたとえにおいて「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者」(ルカによる福音書12章20節)の末路を語り、「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい」(同15節)と教えられた。パウロも「貪欲を偶像礼拝にほかならない」(コロサイの信徒への手紙3章5節)と警告した。私達は貪欲を制御出来なければ、その奴隷になってしまう。

【適用】
 欲で求めるものと信仰で求めるものはどう違うか。

【祈り】
 主よ、あなたから途轍もなく大きな恵みを受けたのに、欲深くなって、これでは足りないと不満を言う自分の弱さを悔い改めます。あなたがなさる御業の前に静まり、与えられた環境や人々に対して満足し、感謝する心をお与え下さい。