Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 コリントの信徒への手紙一12章26~27節

聖書研究 コリントの信徒への手紙一12章26~27節(新共同訳 新約p.316)

【概要】

【歴史的背景】

【釈義】

【黙想】
共に苦しみ、共に喜ぶ

 パウロは、教会が「キリストの体であり、また、一人一人はその部分」(27節)であることを教えた。それ故、一人のキリスト者が「苦しめば」、他のキリスト者もその痛みを分かち合って、「共に苦し」む。また、一人のキリスト者が「尊ばれれば」、他のキリスト者もその喜びを分かち合って、「共に喜ぶ」(26節)。
 教会に属する一人一人は互いにしっかりと結び合わされている。体の一部分が病むと、体全体が痛みに反応するように、教会の全ての部分は一つの体として繋がっている。一人のキリスト者の悲しみと喜びは教会全体に影響を与える。教会は一つの体であるので、他のキリスト者の喜びと悲しみは自分の喜びと悲しみでもある。
 キリスト者が悲しみと喜びを分かち合い、互いを支え合うためには、教会がキリストの体であることを、聖書からよく理解し、確信する必要がある。悲しみと喜びの共有は、ただ長い時間を共に過ごすことによる親密感ではなく、教会を建てられた主なる神の栄光を仰ぐことから湧き起こるからである。他の人々の喜びや痛みを共に分かち合うための愛を、主なる神は与えて下さる。
 人の痛みに無感覚であるこの世にあって、多くの人が傷つき、恐れの中で生きている。或いは、福音の故に苦しみを受け、命さえ危うい兄弟姉妹もいる。互いを支え合う教会は、神の国の前味のような交わりである。主にある兄弟姉妹のために、自分の持っているものを主なる神に献げよう。一つの体である兄弟姉妹を、祈りによって、言葉によって、物質によって支えよう。

【適用】
 主にある兄弟姉妹と、苦しみと喜びを分かち合うことが出来ているだろうか。

【祈り】