Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編94編12~23節

聖書研究 詩編94編12~23節(新共同訳 旧約pp.932-933)

【概要】
 主なる神に諭され、教えていただく人は幸いである。苦難の襲う時に救い出され、平安を賜るからである。詩編の著者は「主がわたしの助けとなってくださらなければ/わたしの魂は沈黙の中に伏していたでしょう」と告白する。主なる神は彼の「避けどころ」となり、「岩」となられた。

【歴史的背景】

【釈義】

【黙想】
(1) 災いから逃れさせて下さる主なる神(12~15節)

 聖徒は、主なる神の戒めを受ける時、主なる神に感謝しなければならない。神の民が主なる神の諭しを受けて義の道を歩む時(12節)、主なる神は全ての災いと悪から救い出して下さるからである。時に主なる神は聖徒に「苦難」の日々を通らせながら、それに耐えることの出来る力を与えて下さる(13節)。だから、「律法」(12節)を通して主なる神の戒めと教えを受ける時、素直に聞き従わなければならない(15節)。主なる神は「御自分の民」が過ちや罪を犯した時、決して「見捨て」ず(14節)、忍耐をもって戒められる。戒めを受けるということは、神の愛を受けているという証拠である。聖徒は、主なる神の「嗣業」(14節)であり、愛の対象である。主なる神が聖徒を御言葉によって教えるのは、「滅びの穴」(13節)に陥らないようにさせるためである。それ故、聖徒は、御言葉を黙想し、教えを受けることを怠ってはならない。

(2) 避けどころの岩なる神(16~23節)

 聖徒を守るために主なる神は悪を行う者を裁かれる(16節)。主なる神の「助け」がなかったら、詩編の著者は失望と絶望の沼から決して抜け出すことが出来なかっただろう(17節)。罪と咎によって倒れる時、主が支えて下さる「慈しみ」がなかったら、罪の深い泥沼に沈んだことだろう(18節)。思い煩いと不安の中に閉じ込められている時、主の「慰め」がなかったら、深い悲しみから抜け出すことが出来なかっただろう(19節)。この世に蔓延する不義と悪行によって神の民は苦しめられることがある。しかし、義なる神は、罪のない者を罪に定める不義の裁判官を必ず滅ぼされる(20~21節、23節)。それ故、不義なこの世を生きる聖徒は、義なる裁き主である神の義をいつも信頼しなければならない。主なる神だけを「砦の塔」、「避けどころ」、「岩」とし(22節)、呟いてはならない。

【適用】
1. 主なる神の戒めを受ける時、素直に聞き従っているだろうか。過ちや罪を犯しても、私達を見捨てられない主なる神の愛を信頼しているだろうか。

2. 不当な目に遭う時、義なる裁き主である神に拠り頼んでいるだろうか。失望と絶望の中にいる兄弟姉妹をどのように慰めるか。

祈り
「主は必ずわたしのために砦の塔となり/わたしの神は避けどころとなり/岩となってくださいます」という詩編の著者の告白を心に留めます。全ての悪から救って下さる主なる神を経験出来ますように。