Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

Norman Barry Welfare Utilitarianism and the Origins of Welfare Philosophy

Norman Barry Welfare Utilitarianism and the Origins of Welfare Philosophy
【関心・疑問】

【論文名】
2 功利主義と福祉哲学の起源

【著者名】
Norman Barry (斎藤 俊明, 法貴 良一, 高橋 和則, 川久保 文紀訳)

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
Welfare, Concepts in the Social Sciences, Buckingham: Open University Press, 1999, 2nd ed.
(『福祉――政治哲学からのアプローチ』京都: 昭和堂, 2004年, pp.25-47)

【本文の構成】
1 政治思想における福祉の観念
2 功利主義と福祉哲学の起源
3 反個人主義――最小国家から福祉国家
4 自由主義政治経済学と福祉
5 個人主義批判と福祉の倫理
6 正義・平等・福祉
7 福祉・福祉国家・政治
8 福祉――追記

【内容の要約(ページ数)】

【引用したい文章(ページ数)】
 無差別の福祉支出がなぜ危険なのかというと、それが人びとをして福祉申請者になるように仕向けるに決まっているからであった。財やサービスが無償で供給されることになれば、それに対する要求もまた無限のものとなるであろう。実際に、このような結果をまねくことのない福祉計画を立案することはほとんど不可能である。もちろん、このように述べたからといって、あらゆる国家福祉が論破されるわけでは決してない。というのは、国家福祉の提唱者たちは、要求が拡大しようと、苦しみからの救済に費用を注ぎ込むことはそれだけの価値があると述べることができるし、そのような結果をあっさり無視することもできるからである。にもかかわらず、それは、功利主義と古典派経済学の支配的テーマであった。一八三四年のイギリス救貧法改正案の起草者たちは、この問題について、きわめて大胆かつ物議をかもす解決策をあみだした。しかし、何人かの論者、とくにマルサスリカードはこの救貧法に反対した。それは、主として、救貧法が人口問題を悪化させることを彼らが確信していたからであり、また救貧法が古典派経済学の論理と矛盾するからであった。しかし、チャドウィックたちは、福祉の責任は当然政府にあるとしつつも、その悪しき効果の緩和を決意したのであった。(邦訳pp.39-40)

【コメント】