Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

Chesterton, Orthodoxy, pp.218-219 (安西訳『正統とは何か』pp.18-19)

Chesterton, Orthodoxy, pp.218-219 (安西訳『正統とは何か』pp.18-19)
【関心・疑問】

【論文名】
2 脳病院からの出発

【著者名】
G. K. Chesterton (安西 徹雄訳)

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
Heretics ; Orthodoxy ; The Blatchford Controversies, The Collected Works of G.K. Chesterton;1, San Francisco: Ignatius Press, 1986, pp.216-232
(『正統とは何か』東京: 春秋社, 1995年, pp.13-42)

【本文の構成】
1 本書以外のあらゆる物のための弁明
2 脳病院からの出発
3 思想の自殺
4 おとぎの国の倫理学
5 世界の旗
6 キリスト教の逆説
7 永遠の革命
8 正統のロマンス
9 権威と冒険

【内容の要約(ページ数)】

【引用したい文章(ページ数)】
 さて、かりそめにも正気の哲学を論じようとする以上、まず第一に、世人が往々にして抱く大きな誤りを正しくおく必要がある。想像力――殊に神秘的想像力は、人間の精神の平静に有害だという観念である。この謬見は到るところにはびこっている。大抵の人は、詩人は心理的には怪しげな人種だと思いこんでいる。詩人の頭にいただく美の花輪は、左巻きに編みあげてあると想像する人びとは少なくない。だが事実を見ても史実を見ても、これがまったくの誤りであることにはまず疑問の余地がない。本当に偉大な詩人たちは、ほとんどみながみな、単に正気であるばかりか、おそろしく実務の才に恵まれた人びとだった。もしシェイクスピアが伝えられるように事実お客の馬を預る役をしていたとするならば、それはほかでもない、彼に預けておけば安心この上なしだったからのはずである。想像は狂気を生みはしない。狂気を生むのは実は理性なのである。(pp.218-219; 邦訳pp.18-19)

【コメント】