Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 エフェソの信徒への手紙6章4節

聖書研究 エフェソの信徒への手紙6章4節(新共同訳 新約p.359)

【概要】
 パウロは親達にも子供について訓戒を与えた。「父親たち」とあるのは、父が親の代表だからである。両親は「子供を怒らせてはなりません」とパウロは命じる。子供は親の所有物ではないので、人格的に接するようにという意味である。そして、子供を「主がしつけ諭されるように、育て」るよう命じる。イエス・キリストの教えに従って子供を訓練し、導き、育てるのである。

【歴史的背景】

【釈義】
4節 親達に対する勧め

 子供達に対する「両親に従いなさい」という教えに比べて、子供達に対する父親(両親)の態度は簡潔である。パウロは、父親達によって引き起こされ得ることを対比構文を用いて表し(~ではなく)、子供達を「怒らせて」(παροργίζετε [parorgizete])はならず、「主がしつけ諭されるように」彼らを「育てなさい」と語った。「怒らせて」と訳されているギリシア語の動詞は、子供に辛く当たることで感情を害させることを意味する。
 親は子供達を「主がしつけ諭されるように」(口語訳「主の薫陶と訓戒によって」、新改訳「主の教育と訓戒によって」)育てなければならない。「しつけ」と訳されているπαιδείᾳ [paideia]は、誤りなどを正す訓練を指し、「諭される」と訳されているνουθεσίᾳ [nouthesia]は、勧めや叱責などの訓練を表す。ここで重要な要素は「主の」(Κυρίου [Kyriou])で、文脈上「主が与えられた」「主が授けられた」という意味に理解するのが適切だろう。パウロは親達に、自分の哲学や方法ではなく、主が与えられた教えと方法によって子供達を育てるように勧めた。

【黙想】
 現代でも親が子供の人格を尊重しようとしないことは見られるが、当時は今とは比べ物にならないほど酷かった。そのような中にあって、この短い一節は非常に強烈なインパクトを人々の心に与えたことだろう。他の教えに比べて短いからと、この教えを決して蔑ろにしてはならない。「主がしつけ諭されるように、育て」ようと努力するなら、子供を怒らせることは少なくなる筈である。主なる神の御手によって造られた人格として子供を育てなければならない。その養育権が最終的には主なる神にあることを心に留め、主なる神の大切な子供を養育するという務めをしっかりと果たさなければならない。

【適用】
 これからの社会を担う世代を正しく育てるために必要なものは、聖書の言葉であり、主なる神の御前に謙る心である。将来に対する不安材料は沢山ある。しかし、ならば尚更、それにしっかりと取り組む必要がある。私達の子供が主にあって育つように、家庭において礼拝と祈り、御言葉への従順が行われるように努力しよう。子育てのための悩みは尽きないが、私達の父なる神がそれも助けて下さる。

祈り