Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 使徒言行録24章22~23節

聖書研究 使徒言行録24章22~23節(新共同訳 新約p.263)

【概要】
 総督フェリクスはユダヤ教について詳しく知っていたので、パウロが無罪であることをよく理解した。彼がパウロに或る程度自由を与え、友人が彼の世話をするのを許したことからもそれが分かる。にもかかわらず、フェリクスはパウロを釈放せず、口実を作って判決を延期し、パウロを監禁し続けた。そうしたのは、金銭や世論の支持を得るためであったと思われる。これはこの世が復活の望みを受け入れようとしないことを示している。

【歴史的背景】

【釈義】
22~23節 フェリクスの裁判延期

 総督は、テルティロの告発とパウロの弁明の間、ずっと沈黙を守っていた。その後、フェリクスは千人隊長リシアが到着するまで裁判を延期した。そして、パウロを軟禁状態にする一方で、自由を与え、友人達に会えるようにした。しかしこの後、聖書にリシアが登場することはない。

【黙想】
1. 世は復活を信じないので、その望みを持つ者を排斥し、批判する。フェリクスはユダヤ人の訴えに根拠のないことが分かったので、パウロに自由を与え、友人達の行き来も許した。しかし、パウロを釈放しなかった。復活の望みを信じようとしなかったからである。この世は復活を信じることを愚かであると考える。

2. 復活の望みに堅く立つなら、反対や迫害にも揺るがされない。反対や迫害は永遠ではなく、それらによっても奪われない復活の望みがあることを知っているからである。

【適用】
 復活の望みはこの世では異質なものである。だから、教会に対する、また聖徒に対するこの世の疑いの目と謀略、反対と迫害を避けることは出来ない。復活信仰がもたらす必然的な反対を避けようとするのは、イエス・キリストよりもこの世を愛しているからである。もし避けているとしたら、主なる神に従おうとしていない点があるのではないか。復活の望みに従って歩む人は、全てのことに耐える力を得る。復活の望みは迫害に遭ってもなお、世にある限り決して手離してはならないものである。

祈り