Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 使徒言行録25章6~12節

聖書研究 使徒言行録25章6~12節(新共同訳 新約p.264)

【概要】
 パウロが裁判の場に出た。ユダヤ人達が「重い罪状」を申し立てたが、「それを立証することはできなかった」。パウロは「ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯し」ていないと弁明するが、総督は「ユダヤ人に気に入られようとして」、エルサレムに上って裁判を受けることを願うかとパウロに尋ねた。するとパウロは「皇帝に上訴」すると答えた。

【歴史的背景】

【釈義】

【黙想】
(1) フェストゥスの前で尋問されるパウロ(6~9節)

 自分の利益を基準にすると、物事の良し悪しを正しく判断出来ない。フェストゥスはパウロの裁判を再び行ったが(6節)、ユダヤ人達は今回もパウロの有罪を立証出来なかった(7節)。このような場合、パウロを釈放すべきであるが、フェストゥスはこの事件を自分の政治的な立場を固めるのに利用しようとした。即ち、先立ってユダヤ人達の要求もあり(3節)、またエルサレムユダヤの首都であり宗教の中心地なので、パウロエルサレムに送って裁判を受けさせれば、ユダヤ人達の支持を更に得られると考えたのである(9節)。キリスト者は、人の歓心を買うことよりも、「わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただ」くことを考えなければならない(テサロニケの信徒への手紙一2章4節)。

(2) 皇帝に上訴するパウロ(10~12節)

 主なる神が与えて下さった権利は、神の国のために適切に用いられなければならない。総督がユダヤ人の歓心を買うためにパウロに無罪判決を下さず、彼をエルサレムに送ろうとすると(9節)、パウロはこれを拒んだ(10節)。そして、ローマ市民としての権利を用いて「皇帝に上訴し」た(11節)。これは、自分を守るためではなく、ローマに福音が広まることを願われる主なる神の御心を念頭に置いたものであった。もしパウロがカイサリアで無罪判決を受けて釈放されていたとしたら、宣教旅行でローマへ行くことは出来ただろうが、皇帝やローマの役人達の前で福音を伝える機会は得られなかっただろう。このように、主なる神は私達の思いを超えた御心を持っておられる。

【適用】
1. 何故フェストゥスは罪のないパウロを釈放せず、エルサレムに送ろうとしたのか。私達は人を喜ばせようとしているか、それとも主なる神を喜ばせようとしているか。

2. パウロが皇帝に上訴したことにはどのような意味があるか。神の国のために私達が用いることの出来る権利は何か。

祈り
 上手くいかない状況でも、主の御心に集中することが出来るよう信仰を強めて下さい。世は私の行く道を妨げようとしますが、使命の道を最後まで走り抜くことが出来ますように。自分に与えられた権利や長所を把握し、神の国のために知恵深く用いることが出来ますように。