Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 詩編8編1~10節

聖書研究 詩編8編1~10節(新共同訳 旧約p.840)

【概要】
 ダビデは、主なる神は「幼子、乳飲み子の口によって」「刃向かう者に向かって砦を築き/報復する敵を絶ち滅ぼされ」ると告白し、主の御名と威光をたたえた。また、主なる神が、人の子を「顧みてくださ」り、「栄光と威光を冠としていただかせ」た御業に感激した。そして、主なる神は万物を人の「足もとに置かれ」たと告白する。

【歴史的背景】

【釈義】

【黙想】
(1) 地と天の中心である主なる神(2~4節、10節)

 この世の中心は、人間ではなく、創造主なる神である。聖徒はこの世の主権者が神であることを覚えなければならない。「全地に」は、主なる神が人間に対して成し遂げられたことや自然などの被造物を通して、主なる神の「御名」が「力強く」現れている(2節)。また、「天」には創造主なる神の「威光」が、日と「月」と「星」を通して現れている(2、4節)。即ち、地と天の中心に主なる神がおられる。だから、人間にとって最も重要なことは、天地万物を造られた主なる神を正しく知ることである。全世界の中心である主なる神の御前で、世の権威は力を失う。主なる神は、「幼子、乳飲み子」のように弱くても、謙って主なる神に拠り頼む人々の「口」を通してご自分を認めさせることにより、ご自分に「刃向かう」世の権威を「絶ち滅ぼされ」る(3節)。私達の権威は主なる神がどのような方であるかを宣言する告白の上に立てられる。

(2) 神の民の務めと使命(5~9節)

 神の民の最大の務めは、生きる姿を通して主なる神のご栄光を現すことである。「栄光と威光を冠としていただかせ」(6節)は、私達が主なる神の代理人として「御手によって造られたものをすべて治めるように」(7節)委任されたことを示している。「神にかたどって創造された」人間は、主なる神の命令に従って、この地を支配する管理者である(創世記1章26~27節)。このことは人間の務めと立場を教えてくれる。そして、この使命を果たすために私達がまず悟るべきことは、主なる神が人間を造られた目的である。私達の生活の全領域が、主なる神が造られた世界である。神の像である私達が今日立っている場所で主なる神の秩序に従って生きる時、世は美しく変わる。

【適用】
1. ダビデは、主なる神をどのような方であると告白し、ほめたたえているか。私達の告白を通して主なる神の威光をどのように現すことが出来るか、考えてみよう。

2. 主なる神が人に「栄光と威光を冠として」被らせたとはどういう意味か。私達が生活の場で主なる神の創造の目的通りに生きるとは、具体的にどのようにすることか。

祈り
 全地と天を覆う主の美しい愛を見分ける霊の目を開かせて下さい。私の人生の全ての領域を新しく創造された主を、幼子や乳飲み子のような心でたたえる言葉をお与え下さい。