Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書研究 使徒言行録26章24~32節

聖書研究 使徒言行録26章24~32節(新共同訳 新約p.267)

【概要】
「お前は頭がおかしい」と言うフェストゥスに、パウロは「真実で理にかなったことを話している」と応じた。アグリッパがパウロに「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか」と言うと、パウロは「今日この話を聞いてくださるすべての方が、わたしのようになってくださることを神に祈ります」と答えた。王はパウロが「皇帝に上訴さえしていなければ、釈放してもらえただろうに」と言った。

【歴史的背景】

【釈義】

【黙想】
(1) パウロが主なる神に願うこと(24~29節)

 福音は、理性や論理、合理性の物差しだけでは判断出来ない。パウロが主に出会った神秘的な体験と死者の復活のことを話すと、フェストゥスはパウロに「お前は頭がおかしい」(24節)と言った。しかし、パウロは「真実で理にかなったこと」(25節)を話したのである。世の人々は尊いものを手に入れると、自分だけでそれを楽しもうと隠しておく。しかし、キリスト者はそうではない。何ものとも比べられないほど尊い宝であるイエス・キリストを知ったら、喜びが溢れ出て、他の人々に伝えたくなる。パウロは福音を聞く「すべての」人が、自分のようになることを「神に祈」った(29節)。パウロには、イエス・キリストを信じて従い、宣べ伝える自身の人生に少しも後悔がなかったことが分かる。主に結ばれた人生が最も幸せな人生である。

(2) 福音のための投獄(30~32節)

 主なる神の思いは人の思いと異なる。パウロを尋問したアグリッパ王と総督フェストゥスは、「あの男は、死刑や投獄に当たるようなことは何もしていない」(31節)と判断し、彼が「皇帝に上訴」(32節)したためにローマに呼び出されることになったことを不憫に思った。しかし、主なる神のご計画はパウロがローマでも福音を証しすることであった(23章11節)。パウロも、主なる神の御心を知っていたので、自分がローマ市民であることを主張して、皇帝に上訴した(25章11節)。彼を尋問した人々が判断したように、パウロには死刑や投獄に値するような犯罪行為はなかった。しかし、パウロは自ら進んで投獄される道を選んだ。それは主なる神から与えられた使命を果たすためであった。

【適用】
1. パウロのように、周囲の人に「キリスト信者」になるよう確信をもって勧めることが出来るか。出来ないなら、それは何故か。

2. 裁判に関わった人々はパウロに対してどのような結論を下したか。主なる神の御心を果たすために、私達が払うべき犠牲は何か。

祈り
 全ての人が救われることを願っておられる主よ、パウロのようにどのような状況でも福音を伝えようとする情熱を与えて下さい。人から変な人だと後ろ指をさされても、キリスト者となることこそ最も尊く幸いなことであると堂々と伝えることが出来ますように。