Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

大木『ピューリタニズムの倫理思想』p.199

大木 英夫『ピューリタニズムの倫理思想――近代化とプロテスタント倫理との関係』東京: 新教出版社, 1966年, p.199

「ルターの救いの確かさは、信仰的主体における証拠によるのではなく、神の救済の意志と力の確かさに対する信頼によるのである。しかしピューリタンはこの確かさに対する信頼を、生の中にまで徹底させるという方向において深まるのである。神がいやしたもうのにいまだ現実にいやされないという態度を謙遜だとは考えていないのである。むしろそれは神の力に対する不信頼(不信仰)を意味するかもしれない。ピューリタンの信仰とは、エイムズの言葉をかりれば、全人的な行為である。観念的な肯定ではなく、全存在的な肯定である。全能の主なる神を信じておりながら、生の改革がなされないのは、真の信仰ではない。なぜなら、神は人間と現実的な契約関係の中にいたもうからである。この契約関係とは単に信仰の対象であるばかりでなく、現実的に教会という見ゆる団体としてあらわれるように、その中に生きるべき現実なのである。ハリスは『契約の中にいるということをどうして知ることができるか』という問いに答えて次のように言う」