Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書黙想 詩編106編6~15節

聖書黙想 詩編106編6~15節(新共同訳 旧約p.945)
イスラエルの忘却と主なる神の救い」

 主なる神はエジプトや葦の海で「驚くべき御業」、「豊かな慈しみ」を示された。にもかかわらず、イスラエルは「たちまち御業を忘れ去り」、それらを「心に留め」なかった。そればかりか、主なる神に「反抗した」。「荒れ野」でも「欲望を燃やし」、不平不満を呟き、「神を試みた」。捕囚になった時も「先祖と同じく罪を犯し/不正を行い、主に逆らった」。これは今の私達の姿と変わらない。しかし、主なる神は「御名のために」恵みを忘れた民を「敵の手から贖われ」、彼らの「願いをかなえられた」。選ばれた民が戻って来るように「彼らをやせ衰えさせ」、敵の手に渡されはしたものの、主なる神の慈しみが尽きることはなかった。記憶するということは関心と愛があるということである。聖徒は人生において主なる神が示して下さる慈しみと助けと備えを常に覚えなければならない。そうする時、感謝し、謙遜に行動することが出来る。